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図12. KG=6.10mの時のC係数計算[縮帆状態、風速4m/s]

 

4.3. 砲門孔の歴史と事故;

 

バーサ号の事故は復原性能の不足と共に、砲門孔が大きな要素になっている。ここで砲門孔の歴史とこれによる事故を手短に振り返ってみよう。

船腹孔を穿ち、砲門孔を考えたのは1500年前後のブレスト(旧ポーランド領)の造船屋であったとされている。以後各国がこれを採用し、大型艦の標準になった。15世紀では、艦といっても商船と兼用が多く、搭載砲も小口径のものが主体で、上甲板上に搭載された。15世紀の後半武装が強化され、専用の艦が出現しても復原性の制約から重量の重い大口径砲の搭載数は極く限られた。これを打開するため、砲甲板を下甲板にし、船腹に砲門孔を設けることが考えられたのである。それだけに砲門孔は水面に近く、海水の浸入を防ぐために蓋が設けられた。蓋の水密性を高めるために、それまで外板はクリンカー張りであったイギリスをはじめとする北欧の艦は平張りになる等の構造上の変革も起こった。1488年建造のイギリスのSovereign(800T)はクリンカー張りであったが、1509年に平張りに改装したのがその例である。

そのような対策をしても、多数の砲門孔の水密を確保することは可なり困難なことであろう。

バーサ号以前にも砲門孔からの浸水で沈没した事故があった。1545年7月19日、ヘンリー8世の英国艦隊旗艦Mary Rose(700T)がポーツマウス沖でフランス艦隊を迎撃したとき、突然傾斜して転覆沈没した。フランス提督は味方の砲弾が撃沈したと思った程の突然のことであったが、戦闘態勢にあったMary Roseの砲門孔が開けられていて、これからの浸水による傾斜、転覆、沈没であった。この艦も引き揚げられ、今はポーツマウスで博物館になっている。この艦は1509年にキールが据えられたが、その数ケ月前にSovereignが平張りに改造されたのに、何故かクリンカー張りで建造され、1536年に改造(兵装の増強を含め)された。これに纏わる話しは割愛する。

 

 

 

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