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斜面の崩壊という現象の発生が、人間社会に影響を及ぼすか否かによって認識が異なってくる。多量の崩壊が発生したとしても、人間の立ち入るような事のない部分で、直接的にも間接的にも人間社会に被害をもたらすことが無ければ、それは災害ではない。それに対して、わずかな量の崩壊であっても甚大な被害を及ぼすことがある。都市周辺などの斜面に造成された住宅地に発生する「崖崩れ」である。崖崩れの発生機構は、規模は小型であるが、山崩れと同様なものと解され、豪雨や地震など、誘因の果たす役割が大きいものと考えられる(図-一)。

部分的な崩壊現象がきっかけとなって、渓流沿いの堆積物を刺激し、相当の距離にわたって、二次的な崩壊を継続させ、多量の巨礫や樹木を押し出すものが「土石流」である。

また、流出した土砂や樹木が流れの途中で堰き止められ、流れを阻害し、それが決壊して短時間に大量の流出を発生させるものが「鉄砲水」である(図-一)。

 

土石流による災害について

はじめにいくつかの災害事例について振り返ってみることにする。

一九七八年五月一八日、新潟県妙高高原町で発生した土石流と、それに伴う災害については、赤倉(新赤倉温泉)という著名な観光地が被災したこと、信越本線を約四ヶ月間にわたって不通にしたことなどの事情も関連して、行政、研究、報道機関等、多くの関係者によって注目された。

この土石流では、現地消防関係者の適切な対応により、後述のように二重遭難を軽減し得たこと。また正確な時刻が記録されていたことにより、後日、これまで、あまり明らかにされることのなかった土石流の速度も明らかとなったことなどがある。妙高高原町五・一八妙高高原災害対策本部発表の資料をもとに整理すると崩壊の発生日時=一九七八年五月一八日

午前六時二〇分頃(第一次) 同日午後一時四〇分頃(第二次)

崩壊の発生場所=新潟県中頸城郡妙高村

国有林妙高山(図-六 A地点)

土石流による被災地=新潟県中頸城郡妙高高原町大字田切(新赤倉)

(図-六 B地点 県道白妙橋)

(図-六 C地点 新赤倉温泉)

(図-六 D地点 国道白田切橋)

崩壊土石量=崩壊発生場所において、

第一次 二四五、○○○m3

第二次 六〇、○○○m3

計 三〇五、○○○m3

被害状況=人的被害死者一三人(うち、一〇人はC地点)

建物の被害 全壊二二棟半壊および一部破損一三棟

第一次の土石流の発生時刻は必ずしも明確ではないが、第二次の崩壊発生時刻は、はっきりしている。

この理由は、第一次の土石流による被災によって救助活動が開始され、同時に崩壊発生現場には監視人が派遣され、警戒態勢がとられていた。第二次の土石流をもたらした崩壊は、そのような状況下で発生したもので、ただちに下方へ通報され、C地点付近で救助活動を行っていた人達は避難して二重遭難を免れた。

しかし、D地点付近で被害状況を調査していた三人の役場職員は、離れていたため情報が伝達されず、遭難したものである。このときの遭難時刻は一三時五八分と知られている。

このことから、第二次の土石流は、A地点に始まりD地点まで到達するのに一八分を要したことになる。

 

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図-6 妙高高原で発生した土石流消研輯報32(1978)

 

この事実を正しいものとして土石流の速さを計算してみる。別に地形計算からA地点からD地点までの距離は六、八九六m、平均傾斜一〇度が導かれる。このことから、平均速度は秒速六・四m、時速にして約二三?qに相当する。当時の斯界では、土石流の速さはもっと速いものとして伝えられていたが、自動車なみの速さであることが判明した。その後、いくつかの実験場でのデータも含め、各地における若

 

 

 

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