干の数値が伝えられてくるようになったが、国内の例について見れば、秒速四・三mから一四・三mの範囲となっており、妙高高原での計算値は適正なものであったと言える。
図-四に掲げた高知県繁藤の大規模な崩壊発生と同じ頃、熊本県天草、愛知県西三河、神奈川県山北の各地で土石流が発生した。これらは土石流のほかにも、繁藤の例も含めて七月一〇日前後の二週間程度の間に、九州、四国、中国、近畿、中部、関東、東北の各地に発生した梅雨前線によるゲリラ的な集中豪雨によるもので、四七年七月豪雨災害と名付けられた大災害であった。
前出の繁藤の例では連続雨量(七月四日午後から翌五日まで)七四二mmといった記録的な値を示したが、神奈川県山北でも七月一一日夜半から一二日早朝にかけて山北町中川で四七四mmの豪雨に見舞われた。このような豪雨のもとで、丹沢山地の中央部に位置する中川地区で多くの土石流が発生した。その一つの例を図-八〜一〇に示す。
土石流が削り残した谷壁部。樹木の根の奥にもかつての土石流堆積物が多量に残されている。
図-八では沢沿いに立木と巨礫が一気に押し出された様子を窺い知ることができる。押し出された岩石はいずれも角張っており、円礫のように長い距離を磨かれながら運ばれてきたものとは異なっていることが判る。
図-九では、運ばれてきた巨礫の大きさに注目したい。このような大きな岩塊が、自動車並の速さで土石流となって流出するわけであるから、その破壊力はきわめて大きいものがある。
図-一〇では土石流によって削り取られた谷壁に、今回のものでなく、過去に運ばれた巨礫が多数顔を出していることに注目したい。過去のものであるこ