と指導してきました。しかしご苦労様と声をかけてくれる家族もありますが、迷惑な顔をされたり、時にはあからさまに嫌な顔をされた事もあります。結局、私は失望感を感じながら、トラブルの起きないようにとか、早く処理してしまおうと、いつの間にか事務的な態度になっていました。
私は、消防士が人を助けることが使命だという事にこだわり過ぎ、「指導している」、「助けてやっている」、「何かをしてやっている」、といった健常者のおごりがあらわれ、自分の心を再び閉じてしまったようです。ボランティア研修で、あの少年が私の声援に答えてくれたのは、選手たちとともに汗を流し、喜び、楽しんでいる私を見て、ともに生きていると感じとってくれたからであり、私には「何かをしてやっている」などといったおごりはなかったはずです。
確かに、私だって、そしてここにいる皆さんだって、いずれは年老い、生活の中で何らかの障害が起こりえるでしょう。しかし、そのために病人扱いされたり、仮にそうであったとしても、自立生活ができない人間だと思われたくはないはずです。もし、そのような扱いをされれば、誰しもが傷つき生きる意欲も失せてしまうのではないでしょうか。
一方的な押しつけの指導では、心から理解し納得してくれるはずはありません。
もっと会話を楽しみ、共に生きていこうとする姿勢・・・。
それは災害弱者を指導するということではなく、災害弱者が生きる意欲を高めるという自立性を応援する事であり、人格を尊重し会話を大切にするということでした。
私は、人々がお互いに助け合い、共に生きていこうとする感動を、あのボランティア研修で学びました。そして今私は、災害弱者が自尊心をもって、共に生きてゆこうとする社会を地域住民と築いていく、そんな二一世紀の消防士を目指して頑張ってゆきたいと思います。
優秀賞
畠中 美紀 九州支部代表
「厳しい救急されど優しい救急」
「消防士 畠中美紀 高規格救急隊員を命ずる。」
昨年四月、私は「人の命を救いたい」という強い思いから、念願の救急隊員になりました。早いもので一年が過ぎようとしていますが、憧れと期待とは裏腹に、現実は命と時間との闘いという厳しいものでした。慣れない深夜勤務に加えて、昼夜を問わず命令のかかる救急出場で、肉体的にも精神的にも疲労がピークに達していました。そんな時、一つの特命出場がかかったのです。
現場に到着してみると、四〇代の男性が、心肺停止状態で倒れていました。救命士である隊長と副隊長は、直ちに人工呼吸と心臓マッサージを実施、家族に状況を聞きながら医師に連絡、気道確保、輸液、除細動といった処理を素早く行っていくのに、私は手伝おうとするものの、体が思うように動かず空回りばかりで、酸素を用意する事が精一杯でした。「せめて患者を運ぶ事ぐらいは・・・」と思い、担架を持つものの、力が足りずに結局交替。必死に患者を助けようとする救急隊、それを祈るように見守る家族。この光景を目にした時、何もサポートできていない自分に気付き、「情ない」「何をやっているんだ」
悔しい思いが込み上げてきました。
これまで男性だけだった中に女性が入ったということで何かと注目されることの多い中、「女性救急隊」という名前だけが一人歩きをしているようで、私の心は、足りない所を何かで補わなければならない焦りと、「どうすればいいのだろう」という不安で一杯になりました。そんな時、隊長が一つの言葉を投げかけてくれたのです。