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そして、平成七年一月一七日の阪神・淡路大震災によって生じた液状化現象で建物が傾斜し、倒壊の恐れがあったため、この建物での業務を停止して仮設庁舎に移転しました。

その後当該建物を解体し、新庁舎を建設することになったため、解体するまでの間を消防隊の技能向上のための訓練場として使用、解体が目前に迫ってきた平成八年七月八日、この建物を使用して火災実験及び消火訓練を実施しました。

 

三 火災実験室の状況について

 

火災実験は、三階南側中央待機室(六〇m2)を使用して行ったもので、この待機室は中央部に通路を挟んで両側が畳敷となっており、両側の間仕切り壁に木製の押入れが設置されていました。

石綿セメントけい酸カルシウム板は、三階南側部分の外装材として使用されており、この面では各室とも窓の両側を挟む様にして石綿セメントけい酸カルシウム板が使用されていました。

火災実験で室内に持ち込んだ可燃物は、オーディオボード一、カラーボックス一、本棚一、空ダンボール箱五、新聞・雑誌類、衣類、カーテン類と火災調査研修用として電気ポット、電気蚊取器及びプラスチック製ごみ箱で、これらを待機室の南東角部分に配置して実験を行いました。

つまり、これらの物品類を窓の東側部分に使用されていた石綿セメントけい酸カルシウム板の裏側部分に配置していたことになります。

そして、火災実験は、待機室の南東角部分に置かれたプラスチック製ごみ箱から出火したという想定で開始しました。

なお、出火室の窓や出入口ドアは開放し、室内出入口側を吸気側、窓側を排気側として設定し、空気の流通の良い状態で行いました。

 

四 石綿セメントけい酸カルシウム板の爆裂状況について

 

(一) 待機室の南東角部分に置かれたプラスチック製ごみ箱から出火した炎が周囲に置いてあった新聞紙や雑誌類に着火、さらにカーテンやダンボール箱を燃やしながら天井へと炎が延びて行き、天井に達した炎が天井板に遮られるようにして横方向に順次拡大して行きました。(写真1参照)

当然、初期の燃焼範囲は、待機室の南東角部分が中心となるため、石綿セメントけい酸カルシウム板の裏側部分、つまり下張として張られていた五mmのフレキシブル板側は初期の段階からかなりの温度で加熱されていたものと考えられます。

(二) 待機室の南東角部分から拡大した火炎が天井に沿って北西側に拡大して行き、この状況が開放していた東端の窓側から確認できました。(写真2参照)

まもなく、東端にある窓の東側部分に使用されていた石綿セメントけい酸カルシウム板の上部がポンという音とともに約一〇cmの円状に弾け飛び、この後すぐに中央部の窓寄り部分がバーンという大音響とともに約三〇cmの楕円形状に破裂、破片が凄い勢いで四〜五m程飛び散る状況が目撃されました。(写真3参照)

この時の状況は、あたかも大砲等で内側から撃ち抜いたような物凄い勢いで破裂し、破裂した後、破裂箇所からも火炎の噴出が認められました。

(三) この破裂後も当該石綿セメントけい酸カルシウム板は、断続的に爆裂を繰り返して破裂箇所が広がって行き、この広がった破裂箇所から火炎が噴出することによって、さらに爆裂を繰り返すという状況でした。(写真4・5・6参照)

 

 

 

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