ました。けれども、私は素直に喜べませんでした。私の境遇を知れば彼の両親は反対するのではないかと思ったのです。ところが、私のそんな心配とは裏腹に反対するどころか「大切にしてあげないといけないよ」と言って下さったそうです。嬉しくてとめどなく涙が流れました。
1月24日の挙式が決まり式場へ衣装合わせに行く私とカメラを持って一緒に来てくれたおじさん。私が恥ずかしくなるくらい写真を撮ってくれました。おばさんは嫁入り道具の一つ一つを吟味して下さいました。他人の私をここまで育ててくれたにもかかわらず、「あなたのお母さんは私たち以上にあなたのことを思っているのよ。それを忘れないでね。」と母を思うことを二人でさとしてくれました。
嫁ぐ日を前に母を訪ねてみました。母は病に伏せ、わずかな命ということでした。母の姿を見た私の胸は痛みました。その後、危篤の連絡をもらい、一週間母の看病をさせてもらいました。しかし、母は昭和63年10月28日、帰らぬ人となりました。母の最期を看取れたことが何よりもの慰めです。父と別れてからは、病院のまかないをして一人で生活してきた母は病院からいつも思い続けてくれていたのです。今、母の心がわかります。おばさんはその思いをわからせようとしてくれたのだと思います。