した。子供を返して下さい」と申し出がありました。子供にその事を話しますと「イヤ帰らんよ。お嫁に行くまでこの家に居る」と言い張るのです。数日間、説得に説得を重ね、やっと納得させました。いよいよ親元へ返す日が来まして辛い別れでしたが、送って行きます車の中で「あっちに行っても、私のお父さん、お母さんだからね、絶対よ、約束よ。」と話していました。親子水入らず楽しく暮しているものと思っていましたら父親の留守を見てはそちらに帰りたいと電話をするようになりました。中学も3年生になり進路も決まった頃と思っていました11月のある日、どうしても帰らせて下さい、と泣き乍ら電話します。理由を聞きますと、父親とうまく行かず私共の所に帰りたい一念で体調をくずし、夏休み以降は入退院の繰返しでした。当時我が家には高校3年と小学2年の里子達が居ましたし、それに又一人は大変だと、姉の方から反対されましたが、人の生命にもかかわる事だと言うことで了解してくれ、5年振り再び我が家の一員となりました。二学期末でほとんどの生徒が進路が決定している時期に市内の中学校も心良く受入れていただき、体調も完全に回復し無欠席、無遅刻で卒業することが出来ました。高校生活ではバレー部で一生懸命頑張り無事に卒業、関東の大手スーパーに就職することが出来ました。