(9) 巣立ち 豊田 文子
わが家へ美奈が来たのは昭和五十三年の九月でした。大きなオムツをして、鼻をたらし、顔や手足はアトピー性皮膚炎でおできだらけ、おまけに喘息持ちでした。
泣き虫で、一度泣き出したら大きな声でなかなか泣き止みません。大粒の涙を流し、その涙を見て私達も貰い泣き……。小さいながらにも、色々苦労をして来たのだろうといとおしく思いました。私達はこの子を如何に幸福せな暮らしをさせてあげようかと真剣に考え、この子の親にならせてもらおうと決めました。
それから月日は経ち、幼稚園の入園式、遠足や運動会等のお弁当作り、私達夫婦にも人並みの親の味を楽しませてくれました。反面苦労も多々ありました。小学校の担任から電話があり、学校での悪いことばかりを毎日まいにち繰り返し聞かされました。「隣の子を叩いた」「人の物を盗った」「授業中に席を立って歩く」等々、一から十まで愚痴ることばかり。とうとう私も怒ってしまい、先生に「あなたたちは教育者の立場にありながら、こういう子供達の事を偏見の目で見ているのではないですか。」と。