堀田 それからは家のこともかかわるようになられた…。
安田 最初は義務感だけですよ。でも家事をはじめるとだんだん見えなかったものが見えてくる。そのうちお袋がぼけてきました。妻は当時仕事に脂(あぶら)が乗っていた時期で、私は退職後に何をやろうか正直迷ってました。結局、お袋を介護するのは自分だなあと思って「主夫」になりました。四年間家で世話して、それから特別養護老人ホームの職員になりました。お袋は八五で死にましたが、いろいろ考えさせられた体験でした。
堀田 どんどん刺激を受けて、どんどん変えさせられて…。
安田 本当にそうです。特養の職員として、また見えなかったものが見えてきて。理事長さんを前にして申し訳ないですが、長という肩書きを意識しちゃだめですね。それと私は新聞記者でしたが、そのころの自分を意識するとだめ。肩書きをとって初めて見えるものが山のようにあるわけです。たとえば警察官に新聞記者として話す場合と、一市民として接する場合とじゃ向こうの態度も全然違う。ああ、こういうことをみんな我慢していたんだなと(笑)。そういう違いを肌で体験することが勉強になるし、それがないとなかなか住民運動も理解できないでしょうね。
堀田 市民活動をしていくうえで、職場時代の肩書き、知識、経験は、一面で非常に役に立つ場合もありますが、逆におっしゃられたように、邪魔になることもいろいろあります。時々おられますが、せっかくボランティアをしようと活動をはじめても、だんだん会の中で浮き上がってきてしまう。そういう男性は、必ずどこかにタテ型社会の意識が残ってます。それをどこまで捨てられるか。本人はなかなか気付かない。そこをうまく奥様にリードしてもらうといいですよね。ただ、もちろん最後は自分の自覚次第です。