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現段階の日本で、現金給付を取り入れることは、アクセルとブレーキを一緒に踏むようなことであろう。新たな財源を投じて、介護サービスの量を増やしていこうとしている矢先に、現金給付を行えば、特にサービスの少ない地域では現金給付指向になる。その結果、サービス拡充に歯止めがかかってしまう。

「献身的に親を介護している人に対して、激励する意味でも介護手当を」という声はいまだに根強い。今後ある程度までサービス需要が満たされ、介護の外部化に対する日本人のアレルギーが払拭され、本当の意味で選択の自由が可能になった時には、現金給付は認められるべきなのであろう。

 

国民負担と家族負担はシーソーゲーム

二〇〇〇年に北欧並の介護サービスを用意するなら約八兆円が必要だといわれる。しかし二〇〇〇年の日本で、介護サービスに用意される公的資金は約四兆円(うち二兆円は介護保険で集め、残り二兆円は一般財源から投入)である。つまり、介護保険が導入されても、日本では国全体で発生する介護需要の半分は、引き続き家族が担うことになる。

今までの日本では家族を「福祉の担い手」として位置づけてきた。一億人総親孝行になれば、高齢者も幸せで、税金や保険料も安くてすむと考えられてきた。おかげで日本の税・保険料負担率は先進国の中でも低い。しかしその結果、家族の負担は非常に重くなった。国民負担(税金+保険料)と家族負担の関係は実に"シーソーゲーム"のようである。国民負担が高い国では家族負担は少ない。

高齢社会において必要とされる介護サービスの全体量は決まっている。問題はそれを誰がどれだけ分担するかである。介護保険の導入によって、私たちは給付と負担の関係を今までより身近に考えることができるようになる。また、この社会的親孝行のシステムがその延長線上で男女共生社会を考える大きなきっかけとなってほしいと思っている。

 

 

 

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