この点において、税率決定が地方団体の判断においてできることが最も重要である。そして、ある年度の施策を決定するに当たり、それとの関係で、たとえば固定資産税の税率をどれだけにするかというような問題提起をするならば、受益と負担に関する住民の緊張感と選択がなされるようになろう。その意味において、税率を毎年度定める「年税主義的運用」が望まれる(11)。広く行われている法人の超過課税は、そのスタート時点においては、特定の財政需要に鑑みて納税者の理解を得て、5年間の実施など、前記の趣旨に添ったものであったと評価できたが、その後、やや安易に名目を付けて継続を反復してきたきらいがある。
(2)ノン・アフェクタシオンの原則の反省
現在は、財政運営の硬直化を防ぐという趣旨から、ある税収を特定の費用に充てることとする制度は好ましくないという前提で税制が仕組まれている。このノン・アフェクタシオンの原則をどこまで維持すべきかが問われるように思われる。筆者は、国税と地方税とにおいて、少し異なる見方をしてよいと考える。地方税に関しては、たとえば大きな費用項目については、一定税目(あるいは、その一定部分)を充てるという制度を採用してもよいと考える。一定税目の税収に対する一定比率方式が現実的かも知れない。これから介護施策などを推進するに当たって、このような主張をすると、景気の変動により介護の程度が左右されてしまうという問題が指摘されるかも知れない。これは介護施策が、こうしたシステムを適用するのに適した費用項目であるのかどうかという問題である。どのような分野に採用するかが議論の分かれるところであろう。
一定割合というときに、都市計画税のような場合には、都市計画事業の事業費の一部のみを賄い、他の一般財源にも大きく依存している結果、受益と負担の緊張関係を弱めている。固定資産税との間に課税標準に差を設けるなど(住宅用地の課税標準の特例)、独自の意義の認められる点がないとはいえないが、せっかくの目的税が、多額の都市計画事業費のなかに埋没してしまっているように思われてならない。
さて、法律に明示されていないときに、地方団体が独自に採用できるかどうかが問題になる。厳密な法的拘束力を考えると、法律による定めが必要とされよう。地方税法が「普通税」と定めているのに「目的税」的に扱うことは違法であるという議論が当然に出されるであろう。しかし、予算運用上の問題として、個別の地方団体が自主的に導入することが可能かも知れない。それは、「普通税」に反するとは必ずしも言えないからである。
もっとも、このような運用が十分に機能を発揮するには、国庫支出金を大幅に減らす必要がある。そのことは、採用分野にも大きく影響する。たとえば、市町村の義務教育分野には、県費負担教職員制度があるため、この現状を前提にするならば、採用してもコントロールがききにくいであろう。