日本財団 図書館


町組とは、京都において、複数の町(ちょう)が地域的に団結・連合した自治組織である。その歴史は文献では16世紀に溯ることができ、その後分割・再編を曇り返しているが、明治2年には、当時の京都(現在の上京、中京、下京、東山の各区の一部)において、上京33組・下京33組の合計66組(1組の区域は、南北4町東西3町を基準)の町組が編成された。「上京第一番組」から「下京第二十三番組」まで番号数字で称せられた。

明治2年5月に上京第二十七番組小学校が開校したのを皮切りに、その年中に、全町組が小学校を開校した。いわゆる番組小学校、64校である。(町組は66であるが、2つ町組により併立された小学校が2校あり、64校となった。)幕末の騒乱による市街地の広範囲な焼失に加え、東京遷都というかつてない危機の中での、「人づくり」による京都の再興策であり、各町組は競い合って小学校の設立に取り組んだ。

番組小学校の設立に当たっては、京都府からの資金下付(1/2補助)のほか、住民から献金や土地・建物・書籍等の寄付が行われ、また、教員の雇用をはじめとする維持運営には、各家の出金(半年に1分(1両の1/4))と町組の同志の者が出資して設立した「小学校会社(預金、貸付を行う金融会社)」の利潤とで賄われた。その後の児童数の増加に伴う校舎の建築も、住民の力を得て成し遂げられた。

当時の小学校は、教育機関としての本来の役割のほか、役所(戸籍の取調、規則・布告の通達など町組内の行政)、集会所(町組住民の会議・集会、講釈場などとして)、警察署(交番)、消防署、保健所(ごみ処理、衛生薬品売渡し、種痘所)、時報所など当時の行政総合庁舎としての役割を果たしていた。その費用は住民の重い負担となったが、それがかえって「小学校は町組のもの」という強い意識、愛着を芽生えさせた。

小学校は、その後行政機構が整備されていく中で、教育機関本来の役割に純化していく。しかし、都心部の小学校の通学区域は、戦後の学制改革まで変更なく、存続する。また、町組そのものは、市や行政区の成立など徐々に行政機関としての機能は失うが、「学区」と名称が変更され、自治組織として存続していく。戦後は小学校が中学校に転用されるなどし、「学区」は従来の小学校通学区域とは異なってくるが、従来の学区の区域を「元学区(もとがっく)」として位置付け、行政区と各町の中間に位置する地域住民の自治単位として存続する。

現在も、元学区ごとに自治連合会が設けられ、その下に、体育振興、消防、防災、交通安全など様々な分野での住民の自治活動が展開され、敬老会、地域女性会や社会福祉協議会・民生・児童委員連盟などの組織も活動を行っている。元学区ごと存在する小学校又は中学校そのものは地域のシンボルであり、学区民の運動会やスポーツ大会・集会・会議その他の活動が、学校を拠点として繰り広げられ、明治初期の「小学校は町組のもの」という強い意識、愛着は、今なお地域住民に続いているのである。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION