IV 千葉市における新たな公共投資の手法について
千葉市企画調整局政策調整課長
篠原 重雄
はじめに
江戸時代後期、千葉市は、佐倉藩の領有地が大部分で、諸物資の集散地となり、宿場町、港町として活況を呈しはじめていました。
明治6年千葉町に県庁が置かれ、同22年に市町村制が施行され新しい千葉町が誕生し、商業都市、消費都市として繁栄していった千葉町は、大正10年市制施行をし、現在の千葉市が誕生しました。以降千葉市の発展は、戦後、首都東京の影響を受け、大幅な人口増加が進むと共に臨海部の開発が活発に行われ、東京から約40km圏内という立地条件から東京のベッドタウンとしても成長を遂げてきた。
東京への一極集中が進展する中、幕張新都心が建設され89年「幕張メッセ」、90年には「マリンスタジアム」や民間企業の立地が相次いだ。91年に多極法に基づく我が国第1号の「千葉業務核都市基本構想」が承認され、さらに、92年(平成4年)その成長力が評価され「政令指定都市」へ移行した。
しかし、低迷する社会経済の中、今後進められる社会資本の整備に対し、公共投資の在り方について改めて考る時を迎えているのではないだろうか。
ここでは、千葉市が、今まで実施してきた民間活力導入による整備を具体的な事例を紹介しながら、新たな手法であるPFIを考える。