1. 札幌ドーム(仮称)の整備
(1) ドーム建設の経緯
積雪寒冷地である北海道におけるドームの建設構想は、昭和56年に北海道がその構想を発表したのが始まりであったが、昭和60年には高額な建設資金、収支予測の難しさなどから、この計画は凍結されることとなった。
その後、昭和63年3月に東京ドームが開業するなどの動きを受けて、その年の12月に札幌商工会議所等の経済団体を中心とする「ホワイトドーム推進会議」が設立された。これには、札幌市もメンバーの一員として参加し、北海道・札幌市のドーム実現に向けた検討を続けてきた。
平成2年には、この「ホワイトドーム推進会議」から北海道知事と札幌市長に対して「提案書」が提出されたが、ここにおいても、先に北海道が断念したような建設資金や運営面での厳しさなどがネックとなって、実現をみなかった。
このような状況に転機をもたらしたのが、札幌市の2002年ワールドカップサッカー大会開催都市への立候補である。
札幌市は、平成4年7月の市議会において、2002年ワールドカップサッカー大会の日本招致と開催候補都市への立候補を決議して、日本招致委員会へ立候補の出願を行い、翌年1月には「国内開催候補地」の一つに決定した。
それを受けて、札幌市は招致が成功した場合に必要なスタジアムの整備計画の策定に着手し、平成6年1月には市の南東部に位置する農林水産省所管の北海道農業試験場の一部用地を取得することを表明した。農業試験場の敷地内には観光スポットである羊ヶ丘展望台があり、また、新千歳空港へのアクセスである国道に面している。このような立地特性を生かし、ここをスポーツエリアとして整備するとともに、エリアの中核施設としてスタジアムを建設することとしたものである。
これらの動きの中で、同年4月に「ホワイトドーム推進会議」などから札幌市に対し、このワールドカップ対応スタジアムにドーム機能を持たせて欲しいとの要望があり、また、経済界からも建設資金等について札幌市に協力することが表明され、スタジアムをドームとすることが決定したものである。