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このような中、32年の大火後には土蔵は多く再建されているのに、町屋が大壁造り1棟ということは、いかにも不思議なことである。真壁は正面が漆喰壁の町屋が大部分をしめ、一部に土壁がある。漆喰塗りは白と黒があるが、その差についてははっきりわからない。ただ、戦争中は白漆喰壁の町屋でも黒く塗られたという話がある。一方、妻側部分の壁は袖壁が取り付き、その上隣の町家が接し、屋根が壁に取りつくので、袖壁を除き、土壁のままとなっている。なお、道路の角にある町屋は妻上部を漆喰塗りとするが、その下部の大部分を下見板張りとする。これは明治時代末頃でも同様で、漆喰塗りが土壁となる。

■屋根

現在の町屋はほとんどが、瓦葺きで一部を金属板とするが、戦後しばらくまで多くの町屋は石置きの板葺であったという。この板葺きは、5番通りの大きな商家でも天保期にやっと行なわれており、江戸時代後期以後ようやく茅葺から板葺に替えられたとみられる。しかし、明治時代末の写真によれば、1番通り、七間通り、5番通りの主用な道路に面して建つ町家は瓦が葺かれていた。これが商家の富の表現でもあったという。しかし、多くの下屋庇は瓦葺は少なく、ほとんど板葺であった。

■その他

1階格子前面に犬矢来が設置してある町家がある。1番通りの宇野英雄家や七間通りの臼井家である。臼井家は当初呉服商を営み、前面が上げ戸であったから、格子の設置以後に、矢来がもうけられたことがわかる。一方、明治40年頃の建設といわれる宇野家は、室内で座敷となる部分の開口部に、格子部分が取り付き、その前面に矢来を設置している。この建物は階高も高く、商家であるのに座敷が当初から道路に面して建てられることが、明治時代未に考えられないので、時代的に疑問がもたれ、後の設置と思われる。

 

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