日本財団 図書館


また、当初と考えられる近藤家の虫籠窓の内側にも板戸の跡があり、その隣のガラス窓部分は以前壁であったことがわかっている。さらに明治末の写真では外部が引き違い障子戸となっている。このことから、当初は稲津家のような障子貼り格子戸や引き違い戸であったものが、木製のガラス引き違い戸に替えられたことがわかる。この引き違い戸はガラスを縦横の桟によって細かく区切ったもので、そのデザインはあまり変化はない。なお、一部に格子を取りつけたものもあるが、当初のものかは疑わしい。

■軒形式

町屋の軒形式は、腕木と登梁の2種類が大部分をしめている。この2形式は深い軒を支える構造的な解決方法として採用されているが、建物本体の小屋組構造には及ばず、すべての町屋が登梁を用いている。この形式の差違いは建物の間口幅と深く関係があり、一般的に間口幅が広いものは登梁形式を採用し、小さいものは腕木形式をとっている。登梁形式は一間間隔に置かれた柱位置の登梁は角材を用い、小屋内部では柱位置より3尺入った位置で、丸太梁と金輪柱で継がれている。角材はすべて欅材で、成が7寸以上もあるりっぱなものであり、外観に対する意識の表れと考えられる。一方、腕木形式は腕木だけのもの、腕木下に力板や金筋による方杖を付けたものに分けられ、腕木形状のものが、大多数を占める。この両形式は袖壁での構造的違いはなく、隅柱に差された腕木により出桁がささえられている。このような腕木や登梁の形式は隣接の勝山市にとどまらず、松岡町、福井市、武生市、鯖江市、三国町などにみられる。

■外壁

町屋の外壁は5番通りに面する黒原家宇野家の1棟の大壁造りを除き、すべて真壁造りとなっていることは大野の大きな特徴である。大野は江戸時代から明治にかけて度重なる大火をうけ、32年の大火後の33年に、時の町長により六間通りや石灯篭通りが防火線として拡張されている。

 

027-1.gif

 

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION