日本財団 図書館


厚板の上部には雪止めとみられる2.5寸角の角材を置き、上等の仕事となると、軒両端の軒反にあわせて反り上がるものもある。聞き取りや明治時代未の写真によると、葺板の厚さは薄板を横に葺くものが古く、厚板は時代が新しいものとなる。

少数ではあるが、出桁下に幕板が付く場合がある。この幕板は以前には町屋に一般的に付いていたもので、庇の出桁下には多くの場合その痕跡が認められる。話によれば、幕板は下に暖簾を吊るすためのものといわれている。昭和初期の写真では日差しを避けるため短い暖簾を下げるものもあるが、多くの町屋は日差しに関係なく、取り付き、さらに大きな商家ではこの部分からさらに小庇を取り付けている。このことから、単なる日除けではなく、商家の格式を示すものと考えられる。

■正面開口部

町屋の正面の柱間装置は、多くの町屋でアルミや木のガラスの引き違い戸が使用されているが、当初形式は上げ戸であった。上げ戸は正面柱の側面に溝を突き、この部分に上下2枚の横長の板戸を上げ下げするものである。日中は板戸を鴨居上に2枚収納し、夜戸締りのため下ろすものである。現在の町屋入口は1間以上の場合が多く、正面の柱は1間間隔ではないが、以前は1間間隔に入れられ、入口部分には大戸といって潜り戸が付いた建具が入れられていた。この上げ戸は、店舗形式の変化や廃業による住宅への変化のため、柱間やその前面に格子が入れられるようになった。現在、町屋に多くみられる格子はこのときの改造か、新しい建物と考えられる。

2階の開口部は、ほとんどの町屋が木製のガラス引き違い戸で、一部に鉄格子製の虫籠窓(近藤家)や障子貼り格子戸(稲津家)がみられる。現在町屋の多くは2階部分を改造して居室として使用されるが、以前はマキなどの収納場所として使用されていた。一方、正面開口部を見る限り、明治32年直後の建物で新しく改造された様子は見られないが、大正9年に臼井家で生まれ育ったおばあさんの話によると、当家は当初は障子の貼ってあった窓で、後に窓を造ったという。

 

026-1.gif

 

026-2.gif

 

026-3.gif

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION