現在の市街地はJR守山駅を中心に放射状に広がっている。琵琶湖大橋の完成とともに大橋東端の玄関口としての役割も果たしている。
昭和30年代から工場の立地などにより工業の発展がはじまり、現在も京阪神をはじめとする地域から人口・産業の流入が続いている。
ウ 栗東町
奈良時代には条里制が実施され、また奈良・近江文化の接点として全勝寺を中心とする仏教文化が栄えた。交通の要衝として幾多の戦乱に巻き込まれるが、江戸期には街道筋のまちとして発展してきた。
昭和38年の名神高速道路栗東インターチェンジの設置により国道1号、同8号とともに国内幹線の中枢を担う都市として、一躍内陸工業地帯へと発展してきた。
エ 中主町
野洲川下流地帯の肥沃な土壌と豊富な用水に恵まれた中主町は、古来から最良質な水稲を生産する県内屈指の穀倉地として繁栄してきた。
近年、都市化が進む本地域にあって農業地域としての姿をとどめているが、昭和40年頃からは工場の進出も一部で進み、農工業都市としての性格も有しつつある。琵琶湖岸一帯は景勝・リゾート地として整備され、マリンスポーツを中心にアウトドアの拠点として多くの交流人口を集めている。
オ 野洲町
野洲町は、野洲川が形成した沖積平野からなり、南部には「近江富士」と愛称される三上山や県立希望が丘文化公園などの丘陵部を有する。町内からは銅鐸、銅鏡をはじめ我が国有数の文化財が出土し、古来からの文化的な発展を物語っている。
野洲平野は、近江米の穀倉地として繁栄してきたが、昭和30年代半ばの国鉄東海道本線の電化などを機に、先端産業の進出や住宅団地の開発が進み、人口の急増と工業地域としての発展をもたらした。製造品出荷額は県内第二位を誇っている。