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事例37 愛媛県・瀬戸町(人口2,841人 面積32.09km2)

〜イベント交流からのまちおこし〜

 

1. 交流事業の契機

「瀬戸は日暮れて夕波小波あなたの島へお嫁に行くの…」。四国の最西端、九州へ細長く突き出た佐田岬半島の中央部の町、瀬戸町にはこのメロディが時報として毎日、午前と正午、そして午後の3回、町内に流れている。

瀬戸町は半島の町。二つの海に面し、奇勝等の豊かな自然環境や魚介類などの特産資源に恵まれ、都市住民の余暇、生活体験の場としての魅力はあるものの、国土の幹線軸から遠く離れているという地理的制約条件下にあり、柑橘を主とする産業基盤や生活環境等の面で相対的に低位にあることから、急激な過疎化と高齢化が構造的な課題となっている。

昭和60年頃の瀬戸町は、昔からの伝承イベントやどこのまちにもあるような特産資源はあるものの、マスコミ受けして全国にPRできるようなイベントはなく、特産品もない、観光施設もない、人材もない、「おらの町にや何もない」と歌にもあったような町であった。この頃、全国的には好景気の中、イベントやリゾート開発が全国各地で目白押しとなっており、各自治体が競って取り組んでいた。

本町においても外部からの刺激を受け、「何もないこの町。このままではますます寂れてしまう。なんとかしなければ。」という気運が起こる。イベントと観光で町を活性化し、全国にPRしようと行政主導で一部民間を取り入れ、瀬戸町イベント実行委員会が発足、町のイベントづくりが始まった。

しかし、いざとなると奇抜なアイディアさえも生まれないのが現実で、毎日毎夜遅くまで会合は続いた。しかしある日、ちょっとしたきっかけがあった。本町で開催されたまちづくり講演会で、ある講師が「まちづくりは地域の宝さがし、キラリと光るネーミングと徹底したこだわりとこじつけが大切」とまちづくりの秘訣を説いた。

 

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人力車でパレード

 

2. 交流事業の経過・概要・効果

この影響もあって、昔から青年団が伝承しているイベントに、「瀬戸町」と瀬戸内海を舞台にしたヒット曲「瀬戸の花嫁」を徹底してこじつけ、こだわりで町のイベント「瀬戸の花嫁まつり」としてスタートしたのが昭和61年の夏である。

これまで毎年静かな夏を迎えていた町に、若い独身女性が花嫁衣裳を身につけてのオープニング、婦人の町内踊り歩きなどの様々な催しに加え、最後は三机湾を舞台にした海上花火大会。三机湾に花火が上がるのは何十年ぶりとか。あるお年寄りが、「まさか、生きているうちにここで花火が見られるとは」と涙ながらに話したことは今も忘れられない。

当初は、近隣市町で唯一のイベントとして大きな反響を得たが、その後各市町でも様々なイベントが催されるようになり、回を重ねる毎により一層の創意工夫が要求され、多少無理なネーミングのこじつけも相まって、マンネリ化が進み、実行委員や町民から賛否両論の声が出るようになる。実行委員会としても打開の道を見いだせず、苦悩の日々が続いた。

 

 

 

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