事例16 新潟県・高柳町(人口2,688人 面積64.63km2)
〜連合東京と高柳町のふれあい交流協定〜
1. 交流事業の契機
連合は1995年の「阪神・淡路大震災」を契機に、「市民・連合ボランティアネットワーク」を発足させた。次いで、連合東京も自然災害等のボランティアを行なうため、「サポート隊」を結成し、日常的な訓練を行なっていくこととなった。
そうした中、連合東京結成5周年にあたり、青年委員会のメンバーから記念となる社会貢献活動をしようとの声があがり、連合新潟との交流をつてに、高柳町の「雪掘ボランティア」が計画された。
一方、高柳町では都市との交流により町を活性化させようと、交流観光事業を展開しており、両者の思惑が一致して「雪掘ボランテイア」が実現し、連合東京と高柳町との交流が始まった。
2. 交流事業の経過・概要
1995年の連合東京青年委員会を中心とする「雪掘ボランティア」の実施で、連合新潟の紹介による交流が開始される(1997年まで8回実施)。
やがて小さな集落から始まった交流が、各区住民組織や役場の受け入れとして拡大していった。
都会とふるさとが心豊かに共存できるよう、高柳町の「住んで良し、訪れて良しの地域づくり」と連合東京の「ゆとり、豊かさ、公正な社会の実現」を目指す運動の進展を目的に、1997年5月、「協働と互恵精神」に基づく「ふれあい交流協定」が締結され、高柳町のイベント紹介をはじめ、交流水田の田植え、除草、稲刈り、新米の配布や「かやぶき修繕」、「雪堀」ボランティアへの参加が実施されてきた。
そして、「ふれあい交流協定」をより発展させるとともに、高柳とのふれあいを更に深めたいと、青年委員会OB・現役や連合東京事務局のメンバーにより、「交流を促進するための組織:連合東京じょんのぴの会」が1998年1月に36名の個人会員と賛助会員11団体で結成された。その後、「連合東京じよんのびの会」が連合東京の交流の窓口となり、より活発な交流が続けられている。