日本財団 図書館


事例15 群馬県・中里村(人口1,033人 面積52.08km2)

〜恐竜化石を始めとする国際文化交流〜

 

1. 交流事業の契機

「昭和60年4月3日、日本で初めて恐竜の足跡を発見!」

日本中に報道されたこのニュースは、日本において過去に恐竜の化石が発見されてはいるが、その生息に対する疑問から、進展しないままにあった日本の恐竜学に大きな衝撃を与えた。この日初めて、日本にも恐竜が生息していたことが証明され、以降、中里村は恐竜を観光の核とした村へと変身し、恐竜センターの整備が行われ、今日の日本恐竜学発展の基となっている。

人口規模が小さく、観光とは縁が薄く、恐竜の足跡発見以前の中里村の観光資源といえば、神流川の清流くらいであった。村では、その清流と人の優しさを前面に出した過疎化対策として、村内にある空家を村外の人に定住用や別荘として使用してもらう空家対策事業を行っていた。

そうして空家を紹介した中に、アジア文化研究所のメンバーがいたことから、奥多野地域の文化を知ろうとメンバーと地域の人々により「奥多野文化の会」が結成された。更に、アジア文化研究所はアジア諸国との交流があり、特にモンゴル国と非常に深い交流を行っていたことがきっかけとなり、草原の国、恐竜化石の宝庫として知られ、また群馬県とほぼ同じ人口を有するモンゴル国と文化を通じた国際交流ができればと願い、「日本モンゴル文化交流協会」が設立され、その本部を中里村に置くこととなった。

 

262-1.gif

県財務事務所と共催の「第1回恐竜を語る会」

 

2. 交流事業の経過・概要

モンゴルとの交流は、食を通じた文化の交流、全国規模で行った馬頭琴の演奏会、小学生の絵の相互交換、木工技術取得のためのモンゴル青年の受け入れ、モンゴルの子供達のホームステイ等を行ってきたが、昭和60年の恐竜の足跡発見により、ミニ独立国「恐竜王国」が宣言され、それまでの文化交流に恐竜化石が加わった。そこで長年の文化交流に基づき、平成8年には「恐竜王国モンゴル」を大きく紹介した「モンゴル恐竜化石特別展」が開催されることとなった。

「モンゴル恐竜化石特別展」は、世界でも非常に貴重な恐竜化石の展示とモンゴル国の紹介を行い、地域資源の見直しと再発見、日本の恐竜学の発展も兼ね、日蒙両国の文化交流をより一層深める目的で行われた。特別展で展示される化石は、世界で初めて組み立てられ公開されるもので、それまで日本人の手によって化石の組立作業を最初から行った事例はなく、日本における化石組立士、レプリカ作製士を養成する機会ともなった。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION