日本財団 図書館


事例13 山形県口大江町(人口10,530人 面積153.92km2)

〜七軒地区 山里留学〜

 

1. 交流事業の契機

町の西側にそびえる朝日連峰のふもと、七軒地区がその舞台となっている。

昭和61年に、中学校統合により廃止された寄宿舎を山村留学の拠点に使えないかと、神奈川県相模原市の学童クラブ『どらむかん』の代表者が話を持ち込んできた。

当時、全国的にはまだ一部の地域でしか行われていなかった山村留学は、山村にその基地を設けて学校に通わせる「センター方式」と呼ばれるものが主流であった。しかし、施設の維持管理に膨大な経費がかかり、この方式は断念せざるを得なかった。

 

2. 交流事業の経過・概要

年々児童が減少し、地元小学校の学校運営にも陰りが見えてきた山間地に、なんとか活気を取り戻したい。そんな思いから、この山村留学の話をぜひ実現させたいという機運が盛り上がった。そこで、センター方式は断念したものの、里親制度を設けて学校に通学させる方式を導入し、「山里留学」が誕生した。

昭和62年に初めての留学生4人がやってきて、新聞やテレビで何度も取り上げられ、大きな反響を呼んだ。翌年は新たに2名が里親となり、地域的な広がりを見せた。その後、地元の理解と里親の確保を目的に山里留学協力会を組織し、夏休みを利用して次期留学生養成のための短期留学なども行っている。また、冬休みには、相模原市に雪を運んで留学生の家族と交流するなど、年々同市との絆を深めてきている。これまで12年間で32名の留学生を受け入れ、10数戸が里親となった。

 

258-1.gif

元気に遊ぶ子供たち

 

留学生が帰った後も、それぞれの家族の交流は続いている。

平成8年には「山里留学」誕生から10周年を迎え、これまでの留学生やその家族、地元の里親等が一堂に会して記念行事を行った。最初に来た留学生は、すでに成人を迎えている。

この山里留学がこれまで長く続いてきたのは、地元協力会の活躍が大きいが、山里留学推進員の存在も忘れてはならない。

山里留学推進員には学童クラブ『どらむかん』の代表者があたり、留学生を送り出す側の責任者として、留学生の選定や留学予定者からの相談、事前指導、保護者と里親および学校との連絡調整等を行っている。

特に重要なことは、留学生を選定する際、日頃の学童クラブの活動を通して本人の自発的な意志で参加を決めさせている点にある。また、留学期間中は、保護者から電話はさせず手紙のやり取りのみと決めている。

その後、他の自治体などでも山里留学を始めたが、失敗しているケースが多いのは、闇雲に募集して本人の意志が不十分であったり、保護者が介入しすぎたりと、送り出す側に受け入れ側の意志で動いてくれる責任者がいないことが原因のようである。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION