柴田委員長 小田切さん。
小田切委員 ちょっと思いつくままに話をしてみたいと思うんですが、今回、各先生方のお話を聞いてると、これは非常にいい交流だという話も幾つかあったんですが、全体的に聞いてみると、もうやめようか、どうしようか迷っているとか、そんなふうな交流もあったりしたような気がいたします。特に私が行ったところは、それぞれ10年以上たってるところばかりなんですが、そういう意味では、交流もいわばソフトな事業ですから10年もやってくると、金属疲労ではないですけれども、大分やり方とか中身も10年前とは状況が違ってきていますので、1つの転換期に入るんだろうという気がしています。それは決して悪いことではなくて、今の状況に合わせて、どう変えていくのかというところから見ていけばいいんだろうと思いますので、いつまでも同じような交流を長く続けるということも大事だけれども、当初の目的に沿わなくなってきたら、もうそれは思い切って違う形に変えるとか、そういうことも必要なんだろうと思います。
それから、先ほど青野先生が、ここにしかないものを使った交流がうまくいくんじゃないかというような話がありましたが、私は逆に、どこでもできる交流というか、そういうものもあるんだろうなという気がいたします。先ほど、過疎は資源大国でということで、いろんなネタが過疎地域にはあるんじゃないかという話をしましたけれども、北海道の下川なんていうのは、たまたまそのときに職員が中国に行って万里の長城を見てきたとか、たまたま農地開発で石があったとか、そんなことがきっかけになってしまったわけですね。ですので、ネタは無数にあって、それをどう組み合わせるかという、いわばそこも非常にソフト的な対応なんだろうと思います。
結局、交流というと自分の町と相手ということで、どうしても外に目が向くということになると思うんですが、そういう話もあるんだけれども、結局、何のために交流をやるかというと、これは自分の地域の見直しというのが、やはりベースなんだろうなというふうな気がいたします。自分の地域に対して誇りを持つとか、あるいは外の人たちと接することで自分たちの考え方の見直しをしたり、あるいはすばらしさをもう一度再確認したりというか。交流というと、どうしても外とのつながりというところに目が行きがちなんだけれども、一番もともとにあるのは、自分たちの地域の見直しというのがベースにあって、そこからスタートなのかなというふうな印象を持ちました。以上です。
柴田委員長 最後のお話ですけれども、国際交流でも、やっぱりアイデンティティの確立というのが国際交流の究極の目的だと言われてるんですね。ほかの文化を知れば、それで自分のアイデンティティが高まっていくと、そういうふうに言われているわけですね。