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これまでの交流の中での苦労話とかを聞きましたが、決して不可能なことをやってみようとかではなくて、地についた仕事として展開している。そういう点で、地場産業を生かしながら国際交流をしているというのは、典型的と言えるのか特殊な例と言えるのかよくわかりませんが、非常に成功している事例ではないか。ほかにも1、2の国とも関係がありますが、特にタイとの関係は、あまり背伸びもしておりませんし、聞いていてなるほどなという、大変感心したような次第でした。

柴田委員長 中国やタイというのは、もともとそろばんは使ったんですか。中国はあったんでしょうね。

村井委員 タイはやっぱりないんでしょうね。

柴田委員長 ニュージーランドもないんでしょうね。

村井委員 ほんとうは、ニュージーランドのほうに本格的に展開する可能性があったようですけれども、タイのほうがそういうふうな格好で。

柴田委員長 青野先生のいらしたところで、随分いろんな国際交流があったようですが。

青野委員 すごく印象的で、交流が発展しているというのは宮崎県の南郷村の韓国との交流です。この村は、村おこしを「百済の里づくり」ということ1本に絞って、いろんな事業がそこに集約するような形で取り組んでいまして、交流事業もその一環なんですね。どうして「百済の里」かということですけど、百済というのは、1300年ぐらい前、7世紀に滅びた朝鮮半島の西側にあった国ですよね。その最後の王族が日本へ逃れてきて、最初は大和に住むんです。でも、そこまで追手がきて、また瀬戸内海に逃れて、太宰府へ行く途中で、嵐に遭って日向灘に打ち上げられる。そして奥地へ入って王様が南郷村へ住んだ。その御魂が南郷村の神門神社に祀られている。そういう伝説がありまして。王妃のほうは、また別のところ、王子・王女がまた違うところへ流れ着いている。その王妃・王子・王女が一緒になって、1年に1回、王に会いに行く。王子は90キロぐらい離れている比木神社(木城町)に祀られている。その90キロの道すがらを、9泊10日をかけてお祭りをやりながら行くわけですね。今は車で2日と言ったかな。そういう伝統行事を1300年もやってきた、ちょっと信じられないようなことなんですけど。

王様を祀ってあるという神社から、銅鏡が出てきて、その中に奈良の正倉院の、国宝になっている銅鏡と同じデザインのがあるということで、百済伝説がただの伝説ではなくて実態があるんだという話になってきて、百済の国の首府だったところとの交流を行うということになったわけですね。平成2年からです。

そこは小さな村ですが、中学1年生全員を、村費で韓国へ派遣しています。自己負担なしで。これまでで合計434名の生徒。だから、南郷村の中学校の卒業生は必ず行ってるわけですね。これはすごいなと思いました。

 

 

 

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