■国際交流
柴田委員長 初めから花嫁対策だったんじゃないんですか。そうじゃないんですかね。集団見合いさせても、過疎地の男性の多くは女性と活発に話すのが苦手なので、どうもだめなんですね。だから、こういうことを考えたのでしょうが、もしそうなら随分気の長い話ですね。
いよいよ国際交流のほうにまいりますが、大変、有名な宮崎県の南郷村もございますが、村井先生、横田町のそろばん交流ですか、これも一部では非常に有名でございますね。ちょっとお話しいただけませんか。
村井委員 一番最初に申し上げましたように、私が今回調査に行きましたのは、7町村やそれから4県16市町村が一緒になり、広域的な連帯の中で、いろいろなことをやっているところでした。邑智郡悠邑ふるさと運動の場合は川本町、県境ミットの場合は日南町に事務所が置かれてやっているんですけれども、どうしても中心になる町村が出てくる、中心になる人がいるわけですね。そういう場合、呼びかけても最初のうちはこたえてもらえなかったというふうなこともありますし、それぞれ条件が違いますから、全部が一緒にやる場合には、同じ利益を受けるとは限らないというふうなこともあって、まあ、競合と協調というのがこういう場合の原理になるんでしょうけれど、そういう点ではうまくやっていると思いましたね。
そういうものに属している一方、石見町の場合は邑智郡、横田町のほうは県境サミットの中の一員ということで、それぞれが独自に自分たちの郷土のものを生かしながらやっている。横田町の場合は、そろばんを生かしながら、地場産業を生かしながらやっている。特に、これももともとは偶然のきっかけみたいなこともあるんでしょうけれど、NGOの日本民際交流センター代表の秋尾とおっしゃる方の提案で、タイのほうで、そろばんでおくれている教育の一助になればいいのではないか、計算能力を高めるのにそろばんを使ったらというふうなことで始まったようですね。そこでタイにそろばんを持っていき、学校教育に使ってもらうようになった。
そういうことをやる中で、こちらから人を派遣してそろばんの指導者を養成したり、また招いて研修を受けさせ、帰国後指導者になってもらおうということもしたりと、さかんに交流している。また、プサコーン・ホーンヨックさんという女性ですが、島根大学を卒業したあと、役場に採用し、そろばん交流その他のことに国際交流員として働いてもらっているようです。我々は、その日、用事があった彼女に会うことができなかったんですが。そろばんが外国の学校教育の中に取り込まれ、向こうの国家的な理解と支援みたいなものも受けるようになってきているという点では、相手が同格というか、似たような者同士の交流とはちょっと事情が違うのかもしれないですね。