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■山村留学

 

柴田委員長 そうですか。私が前に会津高原のある町に行ったときに、どこか、ここで土地を買って何かつくってくれる自治体はありませんかねとか町村長から言われて、そう簡単に自分のところを売ることばかり考えるなと言ったことがあるんですけれども、交流の形はだんだん多彩になってきたようでございますね。

次に山村留学を話題にしたいと思いますが、私も長野県の八坂村というところ…、これは山村留学にはいろいろございますけれども、嫡流と称している「育てる会」という財団法人がありまして、これは八坂村出身の青木さんという先生が学校で教育をしているうちに、山村留学ということをやらなきゃだめだというふうに一念発起いたしまして、せっかく勤めている学校をやめて「育てる会」というのをつくったんですね。その経緯を見ますと、昭和43年に青木さんが「育てる会」をつくって、昭和47年に財団法人となっています。そこは非常にオーソドックスな山村留学で、ホームステイが半分、あとは集団教育でその山村にある施設へ入れて、いわば寄宿舎のようにしてやるのが半分。こういうような格好でやっているようでございます。たまたま八坂村へまいりましたときに青木さんも来ておりましていろいろお話をしたのでございますが、ほかでも私の行ったところでも和歌山県の清水町も山村留学をやっておりますが、そこはそういったようなドミトリーが半分、それからホームステイが半分というものでなくてホームステイ・オンリーでした。

それから動機は、黙っておいたら児童数が減ってしまって廃校になりそうだ、あるいは廃校前提の休校になりそうだと。それを防ぐために生徒数を確保したいというような動機が、どうも強かったように思います。八坂村でも話がありましたけれども、高齢化ですね。高齢化が非常に進んでホームステイを受け入れる人々がいなくなってきたと、こういうような話を聞きまして、山のお母さんでなくて山のおばあちゃんになっちゃったといっておりました。この山村留学については、高知県の大川村、それから佐賀県の富士町なんかでもやっているようですが、まず小田切さんのほうから、ちょっとお話しいただけますでしょうか。

小田切委員 高知県の大川村へ行きましたら、先ほど委員長のほうから八坂村の話をいただきましたが、ここも、スタートするときにはやはり八坂村に見学に行って、そこのノウハウを学んできたというお話をしていました。八坂村のほうは昭和44年の第1回自然教室からのようですが、大川村のほうは昭和62年からということで、スタートしてほぼ10年ちょっとというところです。ここは、きっかけはやはり児童数の減少ということで、複式学級化を防ぎたいということで、山村留学の受け入れということに着目をしたということでした。

 

 

 

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