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わった、大変詳しいものができるだろうと思います。さて、この交流事業が、地域活性化の重要テーマになってきたのは、私の記憶では、過疎地域に人口を元どおり戻すというよりも、むしろ人口を元どおりに戻すということは不可能にしても、人々がたくさん集まってきて、そしてにぎやかになる。地域が活性化するにぎわいがあればいいという、そういう考え方が強く出てきたのは、昭和の最後のころでないかと思っているのでございます。

今度の調査をするのに当たりまして、従来、過疎地域問題調査会がやった研究にどんなのがあるかというのを調べてみましたところ、昭和56年度に安達生恒先生を委員長にして、「過疎地域と都市との交流事業の実態とその推進方策に関する調査研究」というのをやっておられることがわかりました。その後、先ほど申しましたように、昭和の最後のころになりますというと、非常に交流というものが大きく取り上げられて、全国総合開発計画におきましても、四全総というのは昭和62年にできたのでございますが、そこで交流というのがメインテーマになってきたわけです。そういうのを受けて、平成2年に全国町村会でアンケート調査をして、その結果が大変立派な本「地域を拓き地域を結ぶ町村交流事業」として公刊されております。

そこで、最初に過疎地域問題調査会専務理事の近岡さんのほうから、昭和56年度の船舶補助事業の、先ほど申しました安達さんを委員長にした調査研究、あるいは平成2年の全国町村会のアンケート調査につきまして、ちょっとお話をいただけたらと思います。よろしくお願いします。

近岡専務理事 関係資料は、最初の会合のときにお配りいたしてありますのでごらんいただけたと思いますけれども、ご紹介がてら話の糸口にしたいと思いまして、ごく簡単に申し上げます。

安達先生には、当初のころから調査会では大変ご指導いただいておりまして、第一次の過疎法成立以来、終始ご指導いただいておりました。安達先生の言葉だと思いますが、「牛は住めても人間が住めない過疎地域」というふうな状態が、象徴的に言えば、そういう時代を、若干の期間、推移してきたと。しかし、自然に対する気持ち、人間性の回復の場という過疎地の特質ということに着目されるようになって、過疎地域においても都市との交流事業というものが少しずつ推進されてくるようになったとして、見方によっては、安達先生ほかのメンバーのこの年の報告書にもありますように、過疎地は資源大国であると。緑、水、あるいは新鮮な農産物とか、素朴な人情とか、そういう意味で言えば、過疎地は資源大国とも見られるし、考えられるし、そういう魅力を生かして都市との交流事業というのが進められてきており、これからも進められるであろうという趣旨の報告書だと思います。

当時、昭和50年代に入りましていろいろな試みがなされ、少しずつ都市との交流が充実してまいりました。

 

 

 

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