機器の効果を上げるために
大阪・堺市 田島政雄
必要は工夫の母
私は補聴器を使っている。私の周囲でも補聴器を装用している人、つけている人は多いが、ほんとうに使っている人は少ない。たとえば、難聴者の会合で30人集まったとしよう。90%以上は補聴器をつけている。しかし、補聴器で言葉を聞いている人は3分の1にも満たないだろう 。
聞く必要があれば、だれでも何らかの工夫をするものだし、必要度が薄ければ機器の機能だけにおんぶするかたちになる。だから、聞こえなくなったり、聞こえにくくなったりしても「聞きたい」「理解したい」という気持ちを持てる雰囲気が大切になってくる。1個の補聴器はそれを使う1人のユーザーのみに関係するのではなく、1個の補聴器はそれを使う人間の社会関係とも関連してくるのである。
一方にお医者さんがいる、機器のメーカーがあり、販売店がある。聴覚障害児の場合は、その中間にろう学校などの先生がいる。成人の場合にはそれがない。団体はあるけれど、現状では荷が重い。社会の受け皿としての、カウンセリング機能、リハビリテーション機能が必要であろう。
デシベルでははかれないもの
耳に関連する研究会や勉強会をのぞいてみると、最初から最後までデシベルとヘルツの話に終始したりすることがある。確かに出発点はデシベルとヘルツで押さえないと議論が進まない。しかし、補聴器を実際に使い、補聴器を使っている人と接している私からみると、デシベルと実際とのギャップの方に関心がいく。
早い話、私は右耳がダメだけれど、補聴器をつけている左耳は90デシベルを切っており、調子の良いときは85、6デシベルぐらいまで聞こえる。静かなところで1メートル以内であれば、いまの補聴器で十分聞こえる聴力である。ところが、実際は、どこへ行っても騒音がひどくて(都市と地方でも違うが)、日常生活ではほとんど聞こえない、聞かない毎日である。ろうあ者とあまり変わりはない。デシベルはどこで関係してくるかといえば、障害者手帳の等級決定にのみ関係する、とさえ言える現状である。
聴力検査室の中と社会とのギャップがあまりにも大きすぎるのではないか。
だから、私のまわりでも、デシベルは6級に達しないから手帳がもらえないものの、実際の生活は障害者並みという人が何人もいる。
それに、会員のご老人などと話していて、いつも感じるのは、聴力は私と同じぐらいなのに、実際には私の10分の1ぐらいしか聞こえていないのである。これは「聞く必要度」の問題もあるけれど、相手の顔をしっかり見ていない、視線がいつも揺れている、落ち着きがない。これでは聞こえないのはあたりまえである。こういう人の場合は、何デシベルしか聞こえないのが問題ではなくて、何デシベルは聞こえるはずなのに、その半分も聞こえていない、聞いていないことに問題があるのだ。
だから、補聴器なら補聴器で、機械の性能のアップももとより大切だけれど、自分の聴力目いっぱいに聞いているのかどうか、がもっと大切なことである。