昔であれば、技術的に対応できなかったのであるから、「難聴者桟敷に置かれる」ことも仕方のなかった面もあろう。しかし、今ではほんの少しの努力で、殆どの場合、簡単に聞こえを確保できる時代になってきたのである。それなのに、聞こえの確保に努力しないというのは、社会に対して怠慢であるとも言えよう。
シングルのため音切れの酷いものや出力が不足で聞こえにくいのに平気で、聞こえの芳しくない磁気ループを使っているところが少なくないようだ…。補聴援助システムを普及させていくには、良いものは良い、悪いものは悪いと改良していくことが大切である。また補聴援助システムへの正当な評価も必要だと思われる。これは私自身が関係しているため言い難いことであるが、今後、日本の社会に性能の良い補聴援助システムを早急に広めていくためには欠かせないことだと思われるので付言しておく。
徳島県では、ずっと前から磁気ループに対しても、聞こえの悪い時には悪いとハッキリ伝えるとともに、よく聞こえた時には、今日は良く聞こえたと伝えてくれる。
また大きな催しでは資料集などには補聴援助システムの担当者の氏名を掲げるとともに催しの場では、手話や要約筆記とともに、補聴援助システムの担当者の名前もあげて謝意を表すことが多い。が、全国的には、どういう訳か、手話や要約筆記については協力者として氏名を掲示するとともに、催しの場でも、その日の通訳者の氏名をあげて謝意を評しているが、どういう訳か知らないが、磁気ループや赤外線などの補聴援助システムの担当者はカットされることが多いようである。
全難聴や難聴者協会の会合では、失礼ながら磁気ループなどの補聴援助システムのほうが、手話や要約筆記よりも多くの方々の聞こえを支えることが多いと思われるが、手話通訳者に対してお礼を述べているのに補聴援助システムの担当者には全く言及しないことが多い。何故なのだろうか。補聴援助システムを普及させようと思うならば、それなりに大切に扱うべきだろう。最低限、差別すべきではないだろう。
例えば、磁気ループだと一人で、1000人でも5000人の聞こえでも簡単に支えられるが、イベント会場に臨時の磁気ループを敷設するためには、神経をすり減らすものである。
下見が欠かせないし、たった一本の接続ケープルを忘れても、作動しない。機材を一つでも忘れると大変なことになるので、私の場合、前夜は何時も準備に深夜までかかってしまう。故障やトラブルは起こることを前提に準備せねばならないので、予備の機材も必要である。車に積み込む時も、何でこんなに時間がかかるのだろうかと思うほど時間がかかる。終わって帰宅しても、次回のために整備点検が欠かせない。
よく聞こえて当たり前であり、聞こえが悪ければ辛い目をする。普通、会場費の問題のため敷設には短い時間しか与えられない。だから、重い機材を持ってホールなどのなかを走らねばならない。腰を傷めることも少なくないのである。
2. きこえを確保し社会参加を促進するために訴えたいこと
1.法律等による強制が必要である
2.意見交換、研究開発が必要である
3.社会や難聴者への啓発、普及活動が必要である
※ 法律等による強制が求められる
●補聴援助システム(assistive listening devices and systems:ALDSの普及には法律等による強制が絶対に必要である。
●聾唖者には手話通訳者、中途失聴者には要約筆記通訳者が対応しているが、難聴者のためには補聴援助奉仕員が欲しい。
●障害者の社会参加促進事業のなかに、補聴援助奉仕社員養成事業とともに、補聴教室開催事業といったものが必要である。