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ある。音声言語による諸言葉を補聴器で明瞭に理解できる手段があることが広く知られてなかった時代では、健聴者も難聴者とのコミュニケーションに苦労したことだろう。

だから、耳の不自由な難聴者には敬して近寄らず、難聴者を難聴桟敷に置こうとする心理も理解できる。音声言語によるコミュニケーションが何の努力も要せずに無意識のうちに行える健聴者にとって、耳の不自由な難聴者ほどやっかいな者はいないと言えよう。その障害が外から分かりにくいだけに一段と厄介と言える。そんな訳で、自然と家族のなかでさえ、コミュニケーションから取り残されがちになってしまうのであろう。

どうしても聞こえなければ、手話や要約筆記のように社会的に求めていかねば生存することさえ覚束なくなる。

(6)高齢化社会で難聴者が増えていることでもあり、難聴者の団体としては、ことあるごとに社会に対して「もっとゆっくり、ハッキリ、すこし大きめの声で話してください」と訴えることは当然であり、理解できる。が、社会は難聴者だけで出来ているのではないのだから生きていくには、少しでも聞き取りの力をつけるべし、ということもまた極めて当然のことであろう。

(7)難聴者団体が全国レベルでは日身連に、地域レベルでは都道府県や市町村、近所の組織に参加できにくかったのは、皆と自由自在にコミュニケーションできる手段を持ってなかったのだから当然だとも言える。

OHPやノートテイクでは、話の内容を後から何とか理解するのが精一杯であり、即座に文句を言い、我々の意見を他の障害者団体の方々に理解してもらうことなどは本当に難しいことである。私も徳島県中途失聴難聴者協会の会長ということで、徳島県の障害者関係の会合には早くから出席してきた。要約筆記者に何時もノートテイクをやってもらってはいたが、発言することは本当に少なかった。が、人工内耳で聞こえを取り戻してからは、何時も一番やかましく発言する一人になってしまった。多くの場合、私は目を閉じて会議の議論に耳を澄ませ、中途失聴者や難聴者の利益に関したことが議論になる時は、誰よりも早く意見を述べられるようになった。

余談だが、どんな小さい会合でもPA(=マイクやスピーカーなどによる電気音響システム)を付けることを求めているが、私が出席する場合は、殆ど全てPAは私自身が受け持つことが多い。簡単なPAに、個人用のループや多くの場合はワイヤードシステムを運動させるので、他の方々より、よく聞こえているのではと思われることもある。

以前であれば、ただ参加しているだけであり、存在感など全くなかったのに、今や会合のコミュニケーションを押えているのだから、もっとも厚かましい団体ということになってしまった。他の障害者団体の代表者から時々、各団体でのPA(電気音響システム)の相談すら受けるようになり、援助できるのだから思えば変わったものである。

(8)全国的に補聴援助システムの普及は遅れているが、そのなかでも拡げていくのに熱心なところもあれば、今なお殆ど利用されてないところも少なくない。前述のように、多くの難聴者協会では、ごく簡単な磁気ループだけしか利用されてないようだ。

以前は、補聴援助システムのことは殆ど知られてなかった。平成9年2月に徳島県で「補聴学フォーラム」が開催された頃から、全国の難聴者協会でも会長、事務局長など協会の主だった人が人工内耳で聞こえを取り戻す人が増えるにつれ、漸く関心が持たれるようになってきた。

 

 

 

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