果として、国は打障害者プラン」を策定し,障害者に対する社会的・制度的バリアの解消を宣言しました。都道府県においても、障害のある人も、障害のない人も、すべての人が住みなれた地域社会の中で個人として尊重され、安心して共に暮らせる社会の実現をめざしていると言われる。
しかし、補聴援助システムに深い関心をよせてきた私に言わすれば、残念ながら聴覚障害者のなかで、圧倒的大多数をしめる難聴者は未だ福祉の谷間に落ちこぼれており、「難聴者桟敷に放置されている」といえる。なるほど、聴覚障害者のなかでも聾唖者に対する手話はNHKテレビでも教えているほど大いに援助されているし、中途失聴者に対する要約筆記も段々と広まりつつあり、特に今年からは市町村レベルでも多数の場所で講習会がはじまるなど嬉しいニュースが聞かれる。
障害者運動は重度者優先であるとすれば、手話が火蓋をきり、それに要約筆記が続くということも理解できる。しかしである。21世紀を目前にしているのに、日本の聴覚障害者の圧倒的に大多数をしめる難聴者に対する施策が無いのは我々の怠慢ともいえ、恥ずかしいことだと思う。
各県の「ひとにやさしい町づくり条例」なども、その殆どは肢体・視覚障害者にたいする内容であり、難聴者に触れている頁は微々たるものである。都道府県市町村などの自治体や社協など、高齢化社会を迎え、全国で600万人といわれる難聴者の社会参加の促進など殆ど念頭にはないのではと思われる。
(4)難聴者に対する無視は行政や社協などだけではなく、国際障害者年に「完全参加と平等」というスローガンのもとに、障害者の社会参加を訴えてきた障害者の組織においても見られる。ほんの簡単な磁気ループを付けるところはあったかも知れないが、日本身体障害者団体連合会の参加者が約5000人の全国大会や、参加者が約3000人の各ブロック大会には磁気ループが付けられなかったのである。
何が「完全参加と平等」なのか、と文句を言いたいところである。
昨年の5月に、奈良県で開催された日本身体障害者団体連合会の第43回目の大会に奈良県中途失聴難聴者協会に協力して、この約5000人の全国大会の会場の全面に磁気ループを敷設するという経験をもった。5000人の大きな会場でも簡単に磁気ループは敷設できるのである。徳島県では、前から中四国ブロック大会が徳島で開催される時には、約3000人の会場の全面にループを付けることを求めてきた。
日本身体障害者団体連合会(=日身連)の全国大会は挨拶などばかりで、中身はつまらないという人もある。なるほどそうかも知れないが、日身連や都道府県市町村の障害者の組織は、補聴援助システムを理解してもらい、拡げていくうえで大切な方々であるように思われる。願わくば、来年からは日身連の全国大会とブロック大会が行われる県の難聴者協会は、必ず、県や身体障害者連合会に会場の全面に磁気ループの敷設を求め、敷設を実現してほしいものである。よく聞こえ、便利な磁気ループの普及は、このような地道な努力の積み重ねからしかあり得ないと思われるからである。
(5)日本語に「聾桟敷という忌まわしい言葉」が残っているのは蓋し、仕方のなかったことかも知れない。手話や要約筆記を多くの方々が学ばれ、ボランティアが拡がっていくのはありがたい。が、前述のように聴覚障害者の多数をしめる難聴者の社会参加を阻んでいる障壁が全然、取り去られようとしない現状は、「難聴者桟敷そのものである」と言えよう。これに対して、これまでに大きな抗議があがらなかったのは不思議なことで