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家族によれば、自宅ではかなり不機嫌で易怒的らしいが、面接場面では抑えているという感じである。しかし、自分は成長するにつれて暗くなっていったが、それは社会や周囲の人たちが悪い、といった外罰的な言動もみられている。ただし、不適応行動に発展する訳ではなく、狭義の精神病的なところは全く感じられない。

治療的にはカウンセリングを繰り返し、今の自分が持っている価値観は健聴者のものであり、いわば無理な目標を揚げて一層劣等感を募らせ、必要以上に自己評価を低めていることへの気付きを促すことが主眼であった。

また、いわゆる難聴青年との接触を徐々にはかってゆき、解決困難なところは仲間と話し合って処理する方法もあることなどを学習し、そうした中で自らのアイデンティティを築いてゆけるよう支援を行った。

半年後、自ら就職先を見つけて再就労が実現し、意欲も回復して治療は終了した。

〔コメント〕

A男の家庭は典型的な中流家庭で、構成員それぞれの一生は印で押したように予想がつき易く、当然のように、A男も「かくあるべき」との無言のプレッシャーを受けつつ育ってきたのではないかと思われる。

家族はすべて健聴者であり、周辺にも難聴者、すなわち、役割モデルとなるべき存在がなく、無理をして益々追いつめられてゆくA男が容易に想像される。

昨今、重度の難聴児も普通校に通うようになったり、途中からろう学校へ戻ったりすることもあり、生育・教育歴は益々複雑になりつつある。これは言い換えると、難聴児にとってアイデンティティの確立がより困難となってきていることを意味する。

このあたりの問題解決は相当難しいと思われるが、聴覚障害者福祉の機関や施設などで問題意識が高まり、いくつか解決に向けての取り組みも始まっているので、今後の発展が期待される。

なお、本事例を見るにつけ、家族や職場の人たちの聴覚障害者に対する理解や受容の問題が、いかに重要かがわかってくるが、この点を含めた取り組みを期待したい。

メンタルケア上のポイントは、既述した「価値変換」ということだと思われるが、役割モデルであれば、聴覚障害者の自助組織を活用することも重要となるであろう。

 

2)事例2 B子、57歳

〔生育・生活・現病歴〕

21歳で結婚して2児をもうけたが、第2子出産直後に突発性難聴で失聴した。それがもとで夫との関係がおかしくなり、子供は夫側に託して離婚した。

結婚後も洋裁の仕事を続けていたことから、離婚後もそれで生計を立てて一人暮らしを続けていた。技術的には優れたものを持っていたので、数年後に仲の良かった職場の同僚と二人で独立した店をするようになった。

店の経営は順調で、同僚とのコンビネーションも良く、ある程度蓄えもできてきたが、55歳になって、今後の店の経営の仕方で同僚と意見がぶつかり、悩んだ挙句店は清算することにした。

すぐに生活が困るということはなく、新しくマンションを購入して、一人暮らしの悠々自適の生活を始めた。もともとあまり社交的ではなく、新しい生活にさほど苦痛は感じていなかった。

 

 

 

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