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4. 事例検討

 

障害の受容ということが、障害者のリハビリテーション、つまり、いかに自分らしくよりよく生きてゆくかということを考える上で重要な課題であり、その様態やプロセスを瞭らかにし、円滑に促す戦略などの理論化が精力的に為されてきた。しかしながら、現実には理論通りに事がはこぶ場合は少なく、障害の受容のあり様は、障害者の数と同じだけのバリエーションがあると言ってもよいと思われる。

従って、実践の場においては、ひとりの障害者をめぐるあらゆる要因の検討や評価などが為されて、その時の状況に応じたメンタルケアの戦略が立てられるはずである。その意味では、できるだけ多くの事例を検討するべきであるが、そのためには途方もないエネルギーと時間が必要となってくる。

ここでは難聴者や中途失聴者のメンタルケアを考える上で、キーポイントをより多く含むと思われる事例を紹介して、若干の考察と問題提起を行うが、以下に述べる事例は、筆者がメンタルケアの分野でかかわった実例を参考にしたフィクションであることをお断りしておく。

 

1)事例1 A男、27歳

〔生育・生活・現病歴〕

乳児期に罹患した高熱疾患が原因で高度難聴をきたし、ろう学校幼稚部に入って教育を受けはじめたが、両親の強い意向で小学校より普通校に通い、公立高校を卒業した。教師の声はよく聴きとれないことが多かったが、教室では補聴器を両側に装用して最前列に座って勉強し、中位くらいの成績で卒業した。

男子ばかりの3人兄弟の末子で、他の家族はすべて健聴者だが、父親と兄たちは国立大学を卒業して、一部上場企業に勤めている。兄たちはすでに結婚して別世帯をもっている。

A男も大学をめざしたが失敗し、コンピューター関係の専門学校へ進んだ。卒業後、中小企業の商品管理部門で仕事をするようになったが、仕事に対する意欲がわかず、人間関係もうまくいかないため、約1年間勤めただけで退職した。その後、2回入退職を繰り返し、半年前からパソコンを活用する事務職をするようになったが、パソコンの高度な技術を要求されたことなどで仕事をこなし得ず、同僚との付き合いがうまくいかないことから人間関係のトラブルへと発展した結果、就労2カ月余りで退職してしまった。

その後は、自宅に閉じこもりがちであったが、会社で同僚から発声がおかしいと言われたことから、自分は難聴者ではなくろうあ者ではないかと思うようになり、ろうあ協会の会員となって手話サークルにも熱心に通うようになった。

しかし、ろうあ者と打ちとけて付き合うことができず、交流すればするほど違和感が大きくなり、手話サークルでは声がきれいだし知識も多いと言われることにもかえって抵抗を覚え、再び人付き合いや外出をしなくなり、昼夜が逆転した生活状況となってきた。そのため、両親が心配して精神科受診を促し来院した。

〔現在症・治療・経過〕

話しはじめると比較的よく喋るがややまとまりに欠け、生きている意味がわからない、自分はろうあ者なのか難聴者なのかわからない、などと言い、アイデンティティの確立ができず、不安と焦燥を募らせていた。

また、社会の風は予想以上に冷たく、中流家庭の規範を生育する中で無意識に取り込む一方、徐々に肥大化させてきた劣等感や挫折感は、さらに大きくなってきたと思われる。

 

 

 

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