た例であるという点であり、もっと脳の可塑性が高い、より低年齢、たとえば2歳の幼児期に人工内耳手術を受けた場合にもこの様な競合が生じるのか、あるいは両者を共通に処理するいわばバイリンガルな神経機構が発達するのかはまだわかりません。聴覚言語と視覚言語の協同と競合は、今後明らかにされねばならない、難聴者の言語発達や教育の根本にかかわる重要な課題です。
5)小児人工内耳の倫理
1994年、シドニーの国際人工内耳学会の学会場の入り口には“Its great to be deaf(聾である事はすばらしい)”と書いた看板を掲げた団体がつめかけていました。その翌年のパリ人工内耳学会では聾者の一団が学会場に入って笛を吹き、かなりの数の講演が中断され、翌日ノートルダム寺院で行われた記念コンサートも聾者の笛のために途中でキヤンセルになってしまいました。この様な異常事態にもかかわらず、主催のショワード教授はじめ参加者は冷静に対処し、聾者との「話し合い」を行っていました。「聾」と「人工内耳」とはどの様な関係にあるのでしょうか。
自らも聴覚障害者である脇中さんは、現在の聴覚障害児教育は、a)「日本語」を読んだり書いたりする力、b)発音の明瞭度、c)残存聴力の利用または読話の力、d)健聴者と交わる力、e)同じ聴覚障害を持つ人たちと生き生きとコミュニケーションする力、f)自分の障害を受容し、「健聴者」に対して理解と協力を求めることのできる力、g)後輩のためにも、社会を改革していこうとする力、等を獲得することを目指していると要約しています。そして聴覚障害者自身は小児期には、上記のa)からd)、つまり日本語(音声言語)の獲得を最終目標に据え、それが幸せにつながると考える場合が多いが、成人になると、「音声言語が直ちに本人の幸せにつながるとは考えず、自分の時等を受容し、より住み良い社会を作って行こうとする力、「仲間」を作る力を重要視し、そのためには手話は大きな力をもつ」という考え、つまり上記のe)からg)を重視する考えに達する人が多くなるとも述べています。この著者は手話について、「手話を覚えてから、気楽に話せることの楽しさ、集団での会話の楽しさを味わい、また自分とは何かが定まったように感じた」と述べており、また別の聴覚障害者は「親は、私の幸せを願って、今まで一生懸命口話で教えてくれた。それは感謝しているけど、満足しているとは言えない。1対1では会話できたけど、家族全体での会話には入りきれなかった。その淋しさはどうしたらいいのか」と話し、「幼少時からの手話の使用に反対する人は、集団での会話に入りきれないできびしいという聴覚障害児の訴えに、どのように答えるのか」と問いかけています。
我々は、たとえ聴覚障害児の語音弁別の成績が良くても、彼らが聴覚言語を聴いているときには、非常に努力し、緊張している事を知っておかなければなりません。これは丁度、短期間米国に滞在する日本人が経験することに似ており、理性的な討論なら不明の点は聞き直し、理解できるが、英語を母国語とする人々が多人数で日常のあれこれを、遠慮無く英語で話した場合、我々日本人は緊張して内容の理解に努めなければならず、しかも聞き漏らしをするものです。聴覚障害者は「皆が笑っている時に、何がおかしいかわからないのに自分もあわせて笑う」ことのむなしさを述べていますが、日本人が突然外国に住むようになれば、多かれ少なかれこれに似たような経験をするものです。
つまり、長期的に見ると人工内耳が高度難聴者に聴覚言語を「母国語」として提供できるか否かが最大の問題となります。上記の聴覚障害者の場合は聴覚言語による「日本語」が完