全な母国語になっておらず、「手話」の方が母国語に近い状態にあったと判断されます。少なくとも小児人工内耳の術後のリハビリテーションと教育には、この様な倫理的あるいは文化的問題が伴う事を認識しておかなければなりません。
しかし我々は同時に、小児人工内耳によって難聴児が生涯にうるであろう恩恵についても深く考えをいたす必要があります。前述のパリの人工内耳学会で、午前中の演題の大半が聾者のデモでキャンセルされたあとで、マイアミ大のパルカニー教授の「人工内耳の倫理」と題する講演がありました。同氏は医療経済の上からも難聴者、聾者の教育に要する多大な費用、あるいは成人後につける職業の条件が健聴者のそれにくらべて不利であることなど、国家や個人にとって聾者であり続けることの大きな損失を述べられ、聾社会側の考えだけで難聴児の人生を決めることの問題性を指摘されました。これには会場から万雷の拍手がありました。勿論、医療サイドが一方的に人工内耳を患児に押しつけることはできませんが、従来の補聴器とは異なり、言語聴取の上で大きく進歩した人工内耳を言語を獲得する前の乳幼児期から使用した場合、聴覚言語が「母国語」となる可能性は充分にあります。またたとえそれが不完全なものであっても、現実に生活を営む上では、人工内耳を介して聴覚言語が使用できることは、その人の人生にとって大きな利益をもたらすでしょう。ただし、同時に我々の社会全体も難聴者にとって、より住み易いものに変わって行くように努力しなければならないのは言うまでもありません。
人工内耳の現状は今後さらに変わる可能性が大きいと考えられます。すでに小児の人工内耳による語音聴取成績は、同じ条件なら成人のそれより良好であり、将来、より低年齢や残存聴力のある側で人工内耳が行われるようになれば、健聴児との聴覚言語機能の差はさらに縮小するものと予測されます。これらの事実を総合して、関係者の冷静な話し合いで、どのような選択が個々の患児の人生により大きな幸せをもたらすかを理性的に決定することが重要であると考えます。
参考文献
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