一般にコトバの認知には側頭葉の一次聴覚野、聴覚連合野などが働き、一方、その表出ではブローカ野、運動野、補足運動野、小脳などが働くと考えられています。しかし、我々のポジトロン断層法による観察では聴覚連合野は他のひとが話しているコトバを聞く時には広範に活動しますが、自分が話す時には活動せず、一方、耳に入る自分の声に手を加えて歪ませた時には、自分で話している時にも聴覚連合野が強く活動する事が明らかになりました。これは我々が話している時と、人の話を聞くときで脳のなかの活動する部分が大きく異なり、話すことと聞く事のあいだに強い相互作用がある事を証明するものです。これをコトバの習得という観点からみると、言語を獲得してしまった状態では自分の発声は監視しなくても良いが、幼少時に言語を習得するためには自分の声と他者の声を比較して、適切な発声を獲得しなければならず、この時にいま述べたような相互作用による自分の音声の監視が必要になると推測されるのです。
従来は、以上のようなコトバの脳内機構の理解が難聴者の医療という観点から必要になることは、特殊な中枢性の難聴以外、殆どありませんでした。ところが、内耳性の高度難聴が人工内耳である程度克服出来るようになって、コトバに関連する脳の働きが、あらためてクローズアッブされるようになってきたのです。何十年という長い門、高度難聴で耳がきこえなくても、人工内耳で音が入れば、ちゃんと脳が働いて、耳がよく聞こえていた昔のようにコトバがわかるのでしょうか。補聴器でうまく聞こえないときに比べて、人工内耳でコトバがわかりやすくなったという時、それを脳の働きとして客観的に裏付けることができるのでしょうか。先天性高度難聴の子どもが人工内耳でコトバを獲得することができるのでしょうか。ポジトロン断層法という現在の脳科学の先端的な方法によって、これらの疑問にある程度の解答が得られてきています。聞こえとコトバについて詳しく知ろうとすると、どうしても脳の働きについても考えざるを得ない状況になってきているのです。
参考文献:
○Naito Y.et al: Cortical activation with sound stimulation in cochlear implant users demonstrated by Positron Emission Tomography. Brain Res Cognitive Brain Res 2: 207-214,1995
○本庄 巌:脳からみた言語。中山書店、東京、1997
2. 人工内耳の原理と聞こえの回復
「コトバの聞こえのしくみ」の項で述べたように、音の振動は蝸牛の有毛細胞の電気的状態を変化させ、これが聴神経の活動に変換されて脳へ向かって伝達されます。この一連の経路の中で、最も脆弱なのが有毛細胞で、内耳性の高度難聴で治らないものの殆どがこの有毛細胞の障害によるといってよいでしょう。そして有毛細胞を経由せず、聴神経を直接電気で刺激して音感を得るのが人工内耳です。人工内耳が全ての聴神経について有毛細胞を介するのと同じように神経活動を引き起こす事ができれば、人工内耳でも聴力正常者と同じ様にコトバの認知ができるはずです。しかし、内有毛細胞がひとつの蝸牛で約3500個あり、さらに個々の内有毛細胞が独立して各々約10から20本の聴神経に昔情報を伝達しているのに対し、人工内耳は高々20数個の電極を使って多数の一次聴神経を強制的に活動させるもので、これだけでも人工内耳で聴神経に送り込める情報量が、正帯の蝸牛を介する場合よりはるかに少なくならざるを得ない事がわかります。したがって人工内耳を使って限られた情報で言語音の認知を行う