聴の大部分は、外耳道、こまく、中耳を通って来た色々な音や言葉の物理的振動を電気信号に変換する内耳(蝸牛)の障害が関与しています。そして内耳障害によって信号が歪んでも、ある程度までなら、我々の大脳は、それを解読して意味をとらえる能力(補足作用)を持っています。これは知能、知識、経験、学習などによる総合的な能力で個人差があり、脳に達する信号の歪みが比較的小さいのに言葉の理解が大変悪い人や、可成り大きい歪みがあるのに何とか言葉が理解できる人があります。また同じ人でも体調の良し悪しや、精神状態、聴こうとする意欲の強さなどに大きい影響を受けます。高齢者では、上述の大脳の補足作用が低下するので、同じ程度の聴力でも若い人に比べ、言葉のきき分けが劣ります。どんな補聴器でも、その働きは外界の空気振動に、様々な細工をして、鼓膜に伝える所迄の役割を果すに過ぎません。決して言葉の意味を解釈して教えてくれません。それは内耳、聴神経路を含む人間の脳の役目です。極端な例を挙げると、知らない外国語は、どんな補聴器を用いても分からぬことは誰でも直ぐ理解できるでしょう。従って言葉がより良く分かるようにしたい場合、その責任を全部“よい”補聴器に押しつけるのは誤った考え方で、自分の果すべき責任は何かを考え、それについて助言を求めることが希望目標に近付くための現実的な道です。青い小鳥は案外自分の中に住んでいます。
従って、自分の耳に合った補聴器を購入できたとしても、それは出発点に立ったのであり、有効に使えるまでには、補聴器を通した音の世界に脳が馴れるのに4〜6ヶ月は必要で、その間に再適合を受けたり、どんな場合に、どの程度役立つか、どんな場合には役立たないか自分で体験を通して知るよう努めるべきで、僅か1週間内外の限られた体験から、役に立たないとか、期待はずれだとか決めつけるべきでないことを知っておくことが大切です。
6)補聴器がすべてではなく、相手の表情や日の動きを見る読話、話題や話の前後関係、その場の状況などからの推量などによって一言一句を追うのではなく、全体的な意味をつかむようにすると、コミュニケーション能力が飛躍的に高められ、たとえ聴覚だけでは50%しか分らない場合でも補聴器は充分に役立つことになります。人工内耳の項で述べられるように、人工内耳(聴覚)、読話(視覚)それぞれ単独ではことばの了解が低くても、両者を併用すると飛躍的にそれが高められるのです。昔から口話法で教育されたろう者や後天的の難聴者の中には、読話能力の大変優れた人が少なくありません。つまり最初補聴器を使ってみて、ことばが期待したようにきき分けられない場合でも、落胆しないで、総合的なコミュニケーション能力を高めるには、補聴器が大きい役割を担っていることを考えて、決して、その使用をあきらめないで下さい。
7)補聴器購入時に家人が心得るべきこと
最近では独り暮しの老人が多くなっていますが、耳が遠くなりテレビの音声も早口が多いこともあって分らないので見ない、電話も娘さんなど特定の人の話でないと、聞きとれないので、ベルが鳴っても出ないなど全く閉鎖的な生活をしている人も少なくありません。また息子夫婦、孫などと同居していても、おばあちゃんに話しても、どうせ分からないからと、まともに相手にされないので自分の部屋で1人でテレビを見ていますと、孤独感を訴える人も稀れではありません。家人が補聴器をつけなさいとすすめるのでと相談に来る人が多いのですが、おばあちゃんに用件を伝えるのが大変だからという動機で勧めるので、それをつけてもらって、家庭内での話の輪の中に入ってもらおうということでない場合も少なくないように感じられます。仕事が忙しいなどの理由で老人を独りで補聴器相談に行