第8章
各国の事情
ブラジルは70年代半ば以降、自動車燃料としてのエタノールの使用における先進国でした。ブラジルではすべての乗用(約1千万台)がエタノールで走行しています。米国では量はそれほど多くありませんが-エタノールは燃料マーケットの約1%を占めています-大規模な、そして拡大さえた開発および実証プロジェクトが進行中です。世界的な観点から見れば、この分野におけるスウェーデンの貢献も評価されています。このことは1997年10月にStockhpolmで開催されたHFBの国際会議「マーケットの創造」の場で見られました。
ブラジル
ブラジルのアルコール推進(Proalcohol)計画は1973/74年の第1次石油危機勃発の中で、1975年に始められましたが、その目的は燃料としてのエタノールガソリンの混合物を徐々に導入する最初のステージになることでした。1979年に第2次石油危機の勃発の中で、この計画は加速され、目的は燃料として純粋なエタノールを導入することに変更されました。
アルコール推進計画をスタートさせ、1979年に計画を拡大させた主な背景には、同国が確実に増加している石油輸入に大きく依存しており、石油価格の一貫した上昇から貿易収支の大幅な悪化を招いていたという事情がありました。1975年にブラジルは1973年と比べ4.5倍以上を石油の輸入代金として支払わなければなりませんでした。これは1979年には10倍以上となりました。イラン-イラク戦争は、ブラジルにおいて同国の石油輸入の半分以上がこの地域からのものであることを、日常生活の中で最も劇的に実感させ、そして彼らは突然その輸入をストップしました。多くのガソリン・ステーションが閉鎖を余儀なくされましたが、初期の純粋エタノール・ポンプは動き続けました。その後ブラジルにおいてかなりの量の埋蔵石油が発見され、またアルコール推進計画が同時にスタートしたため、石油使用の着実な伸びにもかかわらず(1974年と1993年の間で33%の上昇)、石油の輸入を30%減らすことができ、輸入への依存度は半分に減りました。
エタノール事業を可能にした要因は、サトウキビの栽培と農村地帯で雇用を創出するための政治的な決断と結びついた、アルコールの生産において存在していた、かなりの専門性と伝統でした。