ホルベック市では、人口の多い市街地を東地域と西地域の2地域に分け、また市街地を挟む農村部を北地域と南地域の二つの地域にし、人口規模は小さいが、フェリーボートで30分ほどかかるオーリュー島を独立した地域とした。それぞれの地域には中核となる地域総合センターを配置し、高齢者人口の数に合わせてホームヘルパー、訪問看護婦、高齢者住宅等の資源を配分した。市街地の二地域と、農村部の北地域にはプライイェムと呼ばれる日本の特別養護老人ホームにあたる施設が既にあったので、それを増改築して地域総合センターとし、残りの2地域には新築のセンターを設置した。
それぞれの地域には、地域総合センターを中核にして訪問看護婦2名とホームヘルパー10人から15人ほどの在宅ケアチームが編成された。地理的条件を考慮しながら、80歳以上の高齢者120当たりに1チームとし、全市に18チーム作った。それぞれのチームには、会合を持てる詰め所を地域内に設置し、そこを拠点にして訪問活動を行い、また利用者の情報を保管する。チーム全体で、担当する地区の要介護者を支援するという考えで、地区内でのニーズの変化とともに柔軟に対応することが目的だが、実際そのように運営されている。1989年以前は、全ホームヘルパーを市役所の事務担当者が管理し、ヘルパーと利用者を結ぶ役割をしていたが、無駄な時間、コスト、さらにヘルパーは自分の担当している利用者しか分からず孤立していた。そういう状況では、ヘルパーの資質向上はとても望むべくもなかった。
さらに、訪問看護婦は別組織だったから、相談できる専門職が周りにいなかった。チーム制になってからは、利用者の様々なケースを学ぶことができるようになり、また同僚や看護婦にも相談できるようになったためサービスの質は向上した。さらに、地理的に限られた地区のみが対象なので、移動時間を節約でき、臨機応変な対応も可能になった。このような制度の効率化によって、10年間で高齢者福祉財政を二割程度あげただけで問題を解決が可能になった。また、この10年間に330戸の高齢者住宅を、それぞれの地域の高齢者の割合に合わせて配置できたし、南地域とオーリュー島には総合センターが新築され、その他の地域にもカフェテリアやリハビリ設備が整備されたので、1989年に比べてサービスレベルは格段に向上したということができる。ホルベック市の政治家、福祉職員、そして高齢者自らが考え、計画し、実行してきたのだ。成熟した民主社会の自治とは、このような姿なのではないだろうか。当然、市民の満足度も向上し、総合センター内での活動におけるボランティア参加者が増えた。