日本財団 図書館


第3章 デンマークの高齢者福祉政策

 

3.1 歴史的展開

 

デンマークの高齢者政策は19世紀にさかのぼる。1891年老齢年金法が成立するまでは、自立できない高齢者の救済は救貧制度で行われていた。民間の寄付などによる慈善的な救貧制度は16世紀に遡るが、現在の制度の起源は1803年の救貧制度改革法ではないかと思われる。その理由は、この法律によって制度運営責任を地方自治体に規定したことと、自治体はその運営に当たっての経費を「救貧税」という目的税を市民に要求できることになったからだ。1867年の改革で、「救貧税」は廃止され、自治体の一般財源で救貧制度を維持することになる(Philip, K., 1947)。

1803年のデンマークは、まだ絶対王政の時期である。デンマークが立憲君主国になるのは、憲法が発布される1849年だが、1789年のフランス革命以来、ヨーロッパ全体にブルジョア民主主義と自由主義の風が巻き起こった。デンマークは、他の諸国同様、そうした大きな流れの中で独自の民主化の道を歩んできた。とりわけ、フランスにおける1830年の7月革命と、1848年の2月革命はヨーロッパ諸国の民主化に大きな弾みをつけ、翌49年のデンマークの憲法制定に導いたといえる。

19世紀後半は、こうした大きな政治的流れの他に、産業化というもう一つの大きな流れがあった。自由主義が進展する中で、社会主義が芽を出すのもこの時期である。現在の社会保障制度の芽生えはこうした産業化と民主化の流れの中から出てきた。その最も著名な例は、ビスマルクが断行したドイツの社会保障制度である。1871年の労働災害保険法、1883年医療保険法、1889年の老齢年金保険法だろう。しかし、オーストリアでも1854年に鉱山労働者を対象に同様な三法を通している。

デンマークは、他国の状況などを参考にしながら、1891年に老齢年金法と、新たな救貧法を成立させた。因みに、医療法は1892年、労働災害法は1898年に成立している。老齢年金といっても、全ての高齢者に支給されるわけではなく、当時は様々な条件が付けられていた。60歳以上で、過去十年間デンマーク国内に居住しており、その期間中に犯罪、物乞い行為で罰せられていないことなどが条件であった。この条件を満たせない高齢者で生活が窮乏していれば救貧制度に頼ることになる。救貧制度の受給者は、市民権を大きく制限された。こうした救貧制度がなくなるのは1933年である。19世紀ヨーロッパの自由主義的思想が影響している社会保障制度は、自助が基本であり、それが出来ない場合のみ救済制度を利用すべきだとの考え方が一般的だった(Wingender, 1994)。しかし、まじめに勤労し生活してきたにかかわらず、高齢になって

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION