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十ヵ年計画である。機能障害をもった人でも自宅で普通の暮らしができ、しかも長く住み続けられるように、既存の住宅の質とスタンダードを一層高めようというものであった。

1985年春、障害をもつ高齢者と長期療養者の住まい改良政策が更に可決され、それは障害の有無にもかかわらず、すべてのひとの積極的社会参加の保障を明確に打ち出したものであった。独立した生活を可能にするための、老人ホームの変革にも努力が注がれ、旧式のホーム閉鎖や改良が推し進められていった。その結果、1982年には老人ホームのベッド数は56,400床あったのが、1991年には36,100床に減少している。このことは、老人ホーム以外の住まいが拡張され、施設に住む高齢者が減少したことを意味するが、反面また、介護ニーズの高くなった超高齢者のために老人ホームの新築あるいは改良に力が入れ始められている。

 

6. 90年代

 

戦後から60年代半ばにいたる時期は高齢者ケアの基礎形成期にあたり、70年代から80年代にかけた時期が拡張期にあたるとすれば、80年代以降は効率化と優先の時代といえる。

高齢者ケアの脱施設化は他のどのケア分野よりも一足先にスタートを切ったが、施設数が実際に減少したのは他の分野とほぼ同時期であった。在宅ケアは当初ナーシングホームや長期療養病棟に取って代る選択として位置付けられたというよりも、両方のケア形態が平行して発展させられたと言ったほうが正確である(図11)。高齢者のための長期療養施設の拡充は、急性期医療のための病院資源を長期療養から分離するとともに、老人ホームを純粋な介護ニーズだけをもつ高齢者の住まいとして拡充することは、40年代からの政策目的であった。80年代半ばに至っては、サービスハウスが老人ホームに取って代ったというものの、いわゆる施設住まいをする高齢者は10人に1人であり、以前とそれほど変わらなかったといえる(Szebehely・1995)。

92年のエーデル改革によって、医療施設も含めた脱施設化が現実の政治課題として再確認されることになった。反面、サービスハウスの「施設化」や痴呆性高齢者のためのグループ住宅の拡張は、ケアの専門化を意味し、新たな「隔離」現象を生み出したともいえる。高齢者ケアのノーマライゼーションは今までになく強化された反面、80年代以降の発展をみると、高齢者ケアの資源そのものはニーズの高揚に比例して拡張されたとは必ずしもいえない(Antman・1996;Szebehely・1995)。拡張の代わりにスウェーデンが努力したのは、ケア資源の効率的利用とニーズの高いグループを優先する資源の集中的利用であった。エーデル改革もその政治的努力のひとつであるが、具体的な内容については次章において記述する。

 

 

 

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