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救世軍清瀬病院の実習で学んだこと

 宗教法人救世軍清瀬病院(以下、清瀬病院とする)で11月9日から11月20日まで実習をした。看護部の理念である「キリスト教の愛の精神に基づき社会のニーズに応え、全人医療を目指して、病める人を温かくもてなす医療と看護を提供する」ということを、そのまま実践されていることを実感できた。清瀬病院で体験した看護の実際を以下に述べる。
 入院を受ける日、担当の看護婦は朝からその部屋のチェックを入念に行っていた。ナースコールは使えるか、蛍光灯など電気系統のトラブルはないか、トイレの掃除はされているか、ペーパーはあるか、部屋は寒くないかなど気をつけておられた。病室に5回くらい足を運ばれていた。細やかな配慮を見て、入院してこられる患者さんを大切にする姿勢が伝わってきた。また、この日は少し寒い日であったため、看護婦さんは湯たんぽ(ゴム製)を足元に入れられた。ベッドが冷んやりしないように温めてお迎えしょうという温かい配慮であった。当院では湯たんぽはなく電気毛布が使われている。湯たんぽの使用について「電気あんかや電気毛布は乾燥して口渇が出てくることが多い。湯たんぽには柔らかい温かさがある」と、その看護婦さんはいわれていた。これらの対応を見ていると、患者さんをお迎えするというよりお客さんをお迎えするという感じであった。ここに、ホスピス本来の意味である「温かく親切なもてなし」が看護で実践されていると思った。一人一人を大切にする看護が清瀬病院にはあった。
 実習中、活動が少なく1日のほとんどをベッドで臥床して過ごされる患者さんがおられた。私から見ると無気力に見えた。この患者さんに私としてはもう少し活動的な生活を送ってほしい。その方が患者さんのQOLが向上するのではないか、活動できることが患者さんの希望ではないかと考えた。しかし、患者さんは「無気力」なのではなく、「その人らしい姿」かもしれない。それをとらえていくことは、毎日の患者さんとのかかわりでその人をありのままわかろうとする気持ちを持つことが大切だと分かった。患者さんはベッドで1日中過ごすことが苦痛には感じておられない。看護婦の価値観で患者さんを見てはいけない。看護婦の押し付けの看護になってしまう恐れがあることを再認識した。残された時間が限られている患者さんに対して、「何かしてあげたい、何かできないだろうか」という思いが強いが、そう思うこと自体が患者−看護婦関係が上下関係になっているともいえる。自分は何もできないということからスタートする。患者さんの思いに添うこと、いっでも必要な時にはそばに居ますということを伝えていくことも看護−癒しになるということを感じた。
 また意識状態が悪く、状態がかなり厳しい患者さんがおられた。その日は入浴介助の日であった。天気もよく散歩日和であった。この時、患者さんに散歩と入浴の療法をすることは負担が大きいと考え、どちらかの選択を迫られた。患者さんに聞いてみたが、意識がはっきりしない状態で答えはなかった。看護婦は、散歩を選択した。今後天気が下り坂になるという情報があったこと、入浴は4日前に入っていたことという情報と併せて、元気だった頃の患者さんとのかかわりの中で、患者さんが大切にされていたこと、好まれていたことを考えての判断だった。終末期の患者さんに「また今度」ということを考えず、その場その時を大切に過ごすことができるよう関わっていくということも学べた。
 これらの清瀬病院の看護婦さんの患者さんへの対応を見ていると、ホスピスの看護は「看護の量」を提供するのではなく看護の質が問われるのではないか?「あとで」とか「明日また」という言葉は終末期では使えない。今がすべて、その場がすべてであり、その瞬間のアセスメント能力が必要になると感じた。
 また、清瀬病院で実習していて感じたことは、時がゆっくりと流れている、時間を賛沢に使っているということである。病院の横は大きな道路が走っている。バスも頻繁にとおっているにもかかわらず、窓も二重窓のせいか病棟全体が静かである。看護婦の声も小さく穏やかである。叫ぶということはない。私の声も小さくなっていた。清瀬病院では日勤の看護婦は4〜6人で、一人の看護婦が受け持つ患者さんは3〜5人である。十分とはいえないまでも当院の現状を考えるとうらやましい状況である。患者さんに質の高い看護を提供していくには、物理的なゆとり、それに伴う精神的なゆとりが必要だと感じた。また実習をして感じたことは、まるで10数年前の学生実習をしているようたということである。

 

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