次にコミュニケーションについて述べたい。コミュニケーションについても、直接的な講義は「コミュニケーション論1〜4」だが、間接的にはたくさんの講師の先生から教わった。医療におけるコミュニケーションの重要性はいまさら言うまでもない。緩和ケアにおけるコミュニケーションの重要性は特に強調されるべきことであるのも同様である。
講義では2人の講師とも「コミュニケーションはスキルなので訓練することでかならず上達する」と言われた。スキルという言葉には抵抗を感じたが、上達するとの言葉は心強かった。そしてその訓練とはロールプレイのことで、これは慣れていないうえに、できていない現実をつきつけられるので大変辛いものであった。
まず、コミュニケーションはメッセージの伝え合いであるが、メッセージにはコンテント=内容とプロセス=気持ちの両面がある。そしてその割合は、コンテント20%、プロセス80%であり、コンテントは伝わりやすく、プロセスは伝わりにくいという特徴がある。
つまりコンテントだけが伝わったのでは相手は全く満足していないということである。したがって、コミュニケーションスキルの訓練では、プロセスをどうキャッチし、どう伝えるかに重点をおくほうが良いと考える。しかし患者さんとの実際のコミュニケーションの際にはスキルのことは一切忘れ、相手のメッセージに一生懸命耳を目を傾けなければいけない、そうしなければ患者さんのメッセージは聴けなくなってしまうとのことであった。
またコミュニケーションがスキルであるというからには、?ねらいがあり、?方法(効果的な)があり、?繰り返すことにより身につくものである。ここで私が強調したいのは、看護におけるコミュニケーションのねらいが「患者さんと一緒になって考えていく」、「相手のことをよくわかりたい」という気持ちを伝えることであるということだ。この点について教わったからこそ、コミュニケーションスキルのスキルという言葉に対する違和感がなくなってきたのである。
そして緩和ケアにおいては、患者さんのトータルペインの理解やニードの把握のため常に十二分なコミュニケーションをもち続けなければならない。そのことなしには緩和ケアは一歩も前に進むことはできないと考える。したがって、コミュニケーションスキルの向上のための訓練も取り入れつつ、患者−看護婦関係の発展を目指す看護を提供したい。
ここまで当施設での緩和ケアにおける反省点と今後の課題を述べつつ、「どんな看護を提供したいか」というテーマで考えを述べてきた。最初に述べた「緩和ケア病棟でなくてもターミナル期の患者さんは緩和ケアを受ける権利がある。医療者ならだれでも緩和ケアを提供できる知識を身につけておく義務がある」と、「患者さんのニードを正確に把握するためには十分なコミュニケーションが必要不可欠である。医療者は患者さんのニードを正確に把握した上で、その充足のためにあらゆる資源を活用し適切な援助をしなければならない。患者さんのニードはその健康状態やおかれている環境によって変化していくので、常にコミュニケーションを続けなければいけない」のふたつが、私が緩和ケアにおいて提供したい看護である。このなかで「看護婦」ではなく「医療者」となっているのは、やはり緩和ケアにチーム医療が欠かせないという大きな学びがあったことが強く影響している。そして未だ緩和ケアの精神が浸透していない日本の医療現場で、看護が緩和ケアの普及に向けて医療を引っ張っていかなければいけないという決意の表れでもある。
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