症状コントロールは患者のためのもので、お互いがそれを理解して取り組むことでより効果があがっているようにみえた。
今後は、研修での学びをもとに、看護婦として症状コントロールに積極的に参加していけるよう取り組んでいきたい。そして、日常的には看護婦が主体性をもって援助していかなければならないこともたくさんある。便秘・口腔ケアなどについて意見交換をすると、次々にいろいろな病院の自分たちの経験しているケア方法やちょっとした工夫などが出るあたり、看護婦って頑張っているなとつくづく思う。治療面でのこともたくさん学べたが、今までの症状コントロールに対しての消極的な姿勢から、一歩前に踏み出して積極的に参加できるような心がけも意識できたと思う。
(2)家族ケア
家族看護学については、院内でも学習したあとであり、概論については比較的理解しやすかった。普段、社会のなかでの家族の役割であるとか、家族の機能などが見落とされがちだが、そういったところもきちんと理解して家族介入する必要がある。家族の危機状態に対して援助をするとき、正しくアセスメントすることが必要となり、その技術も磨かなければならない。
自分たちが働きかけていくのはどの状況にある家族か、過去にどんな対処経験があるかなど、患者に向かい合うときと同じような見方も必要だということも感じた。家族ニーズを満たすには、まず患者に十分なケアがなされていることが前提だということも学んだ。
また、死別後のケアでは、グリーフカウンセリングの技法も学んだが、かなり専門的な技術であり看護婦が容易にできるものではないと感じた。そして、手紙や集いをすればよいというものでもなく、入院中からの家族ケアがそこにつながってくるということも理解した。実際に実習でも、特別にグリーフワークはなされておらず、同じような考えだった。また、看取りのケアで、夜間や休日は完全に当直医に任せている点もそれまでの関わりを大切にしているということであり、自然の面談で家族に説明がなされ了承をとっていた。特に今まで問題もなかったということであったが、理解はできるが家族の日本人的感情を考えてみると、すぐには納得することができず、今後、ゆっくり考えてみたいと思う。家族ケアや精神面の援助はかなりあっさりとしており、症状コントロールを目指す病院の機能に違いもあったため、家族介入やグリーフワークについて、実習では学習を深めることはできなかった。この点は、当院へ戻ってからの実践で深めていきたいと思う。
(3) チームアプローチ
研修期間のなかでも、まだお互いが理解できていない頃に、体験を通して学習をさせていただき、感覚的に理解をすることができたように思う。死生観についても初めてじっくりと考えることができた。今まで、死について考えていたようで実は深く掘り下げてはいなかったことにも気がついた。人それぞれに何が一番望ましい状況かということは、他人では推測にしかすぎず、その人の生きてきた環境の中から死生観も生まれる。個々の背景をみて、自己満足に終わらない支援を提供したい。実習では、報告会で発表したように、チーム全体がお互いを理解し援助し合っているという意識を持っていることを、日々のディスカッションの中で感じることができた。そういった意識やチーム全体のそれぞれが向上できてこそ、患者にとって最高の良いアプローチができると思った。どのチームメンバーも目標を共通認識し、それに向かって自分たちの専門性を最大限に発揮し、必要な情報や行動を必要なとき提供できたり求めることが大切だと理解した。当院でもそれぞれの職種が、そういった行動を実践できるよう働きかけていきたいと思った。そして、チームアプローチの講義の時間だけに限らず、いろいろな講義のなかで、それがいかに大切であるか、それを抜きにして緩和ケアはできないと随所で教えられ、ますますその大切さを実感した。
(4) その他
以上の目的以外のことでも、基礎の分野でも倫理面など多くの考えさせられることがあった。日進月歩の医療の世界では、常に新しいことに目を向けていかなければならないが、その内容を十分に消化してから取り組まないと、大きな過ちにつながる可能性もあるということ。また、何かの事柄に対して、自分がそれを倫理的問題と捉えられるには、
前ページ 目次へ 次ページ