立ち止まってもよいことを知る
花園病院
松本さおり
今回、この“緩和ケアナース養成研修”に参加させていただいて、学んだことはたくさんあった。
今回の研修の目的は、ターミナル期における看護観の確立と技術を習得することだった。
実習も終えた今、考えることは、患者さんのターミナル期だけが病期ではない、ということを再認識したことである。今までは、急性期・回復期・慢性期・ターミナル期と区別して見ていたように思う。それぞれの病気で区別することも大切だが、看護を受けるのは患者さんであり、家族であり、看護婦はあくまで“人”を対象にしていること、ターミナル期は急性期からターミナル期に至る病期の一つであると再認識することができた。
はずかしながら、今さらながらに気づかさせていただいた。実習を通して再認識した。
全人的にケアすることが看護婦の役割である。看護婦として、“愛”をもって看護を提供することが本当に大切なんだなあ……と講義と実習を通して実感し、今までと違って看護観が変わった。
今までは、医療者として治療と看護がスムーズに行えるように援助してきた。それが当たり前と思っていたし、何かが問題で立ち止まることがないようにしてきた。しかし、今回の研修で、立ち止まってもよいことを知ることができた。立ち止まらないといけなかった。そして、スムーズに行ってきたのではなく、患者さんが悩んでいることや苦痛に思っていることを、しっかりと見ていなかったんだと気づくことができたと思っている。
研修を振り返ってみると、一番印象に残ったことは、「患者さんが“痛い”といったら痛いんだ」ということである。そして、患者さんは医療者に対して遠慮しているということを告げられてビックりした。それはなぜかというと、私自身、かなりの痛がりで、すぐに「痛い」といってしまうからである。
そうです!私は私という価値観で患者さんを見ていたんだと、あらためて気づいた。だから、痛みを訴えない、苦痛表情を見せないということは、「痛くないことだろう」と勝手に思い込んでいたのである。そして、痛いと訴えるが四六時中で、全く苦痛表情を見せないし、「本当かなあ?」と首をかしげていた。今、研修を終えてみて、私は大きな勘違いをしていたということ、そして知らないことは怖いことなんだなあと反省した。
今までの私は、看護婦でありながら、身体的苦痛ばかりを問うだけで、社会的苦痛だったのか、心理的苦痛や霊的苦痛だったのか、ということをしっかりと把握していなかった。多面的に見ていなかった。だから、一方的な見方だけでは患者さんを見ることができない、思い込みを捨てることがいかに大切かということがわかった。
癌性唇痛に関する情報はたくさんある。その情報をキャッチすべきことはとても大切だと思うが、その裏に隠れている“痛み”をキャッチしていくことが今後の私の課題だと思う。
そして、実習でも困ったのであるが、コミュニケーション技術についてもっと学んでいかなければならないなあと痛感した。効果的なコミュニケーションが取れていなかったため、一方的な見方だけに終わってしまったということを再認識できた。
講義でも、ロールプレイで患者さんの立場を模擬上で体験して、こんなにしんどいことを体験されていることを知って、“共感”することの大切さや難しさを知ることができた。
今までは、患者さんが涙を流す状況であったり、症状が軽減しないときに、どう援助していくべきか迷ったり、逃げてしまったりしていた。
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