大川医師は、動かないことにより、廃用症候群となり、さらに倦怠感が増強すると。そのためにはできるだけ疲労感を増やさないような動作で日常生活を遂行できるように関わっていく必要があると教わった。そのためには筋肉や関節可動がよくわかっているリハビリテーション科に依頼する必要があるといわれた。三方原病院では、ソーシャルワーカーは経済的・社会的問題がある場合に携わっているとのことだった。家族と疎遠になっている患者に対して家族へ連絡をとったりと、専門職の狭間にある問題は引き受けていると教わった。三方原病院では、それぞれの職業が何をする役割なのかが患者や家族に理解してもらえるように資料として提示してあった。
これまで私自身、他の職種の人たちはどこまで協力してもらえるものなのか知らなかったため、十分活用できていなかった。緩和ケア病棟をつくるにあたり、チームアプローチはかなり必要とされる。そのためには、緩和ケア担当となる責任者が各職種に必要ではないかと考える。そして、緩和ケアに対する各職種での役割についても明確にされ、どこまで協力が得られるのか緩和ケアに携わる職種が合同で話し合っていく必要があると考える。三方原病院では、ボランティアがいなかったため、それぞれの職種でカバーされていた。
栄養管理室は、患者に少しでも食べる喜びを感じてもらおうと、盛り付けや量にも気を配っていた。そして、直接患者の話を聴き、もし食べたいものがあったら、次の食事で出せるように取り組まれていた。看護助手は、患者の買物や散歩、看護業務の手伝いや後片付けと看護婦の仕事がスムーズにすすめられるように、また、患者のニードを満たすために働いていた。チャプレンは、朝・昼・夕の礼拝と、患者の部屋を訪問しパストラルケアをされていた。実習中、ある男性患者がチャプレンと2人だけで話をしたいといわれ、時には叫んでしまうかもしれないといわれたため、静かで誰にも聞こえないところで会話をされた。患者は亡くなる前、問題は解決されたといわれ、亡くなった。この体験から、私は医師でもなく、看護婦でもなく、家族でもない、第三者的に話を聴いてくれて、パストラルケアをしてくれる人が当院でも必要ではないかと感じた。
実習に行って学んだことは、必要な専門的コミュニケーションと、お互いがわかり合えるように社会的コミュニケーションが、きっちりと行われていると感じた。カルテを読んでいても、病名がわからなくてイライラしている患者はいない感じであった。患者が病名を知りたいといったときが、病名を告知するチャンスであると本に書いてあった。実際に、病名を知りたいと打ち明けられたときに告知されていた。医師は、悪いことを話す中にも、そこから考えられる良いことも話されており、決して希望を失わないように会話をすすめられていた。千原医師が「嘘や弁解は使用してはいけない。真実を誠実に伝えることでわかりあえる」といわれたことが、心に残る。
私は、告知を受けた患者と次の日、会話をする時間を持つことができた。以前、会話をしたときも、話を聴いていく中で、解決の糸口を自分なりに考えることができた患者だったので、私は話を聴くだけで患者の気持ちが少しでも楽になればよいなと考え、安易な励ましは使ってはいけないと思いながらコミュニケーションを持った。「もうだめかな」、何度か会話のなかでいわれた。私は何もいってあげることができなかった。このとき私は、もっと患者のつらい気持ちを言葉で伝えて共感してあげられれば、患者の心は癒されたかもしれないと、講義を受けて感じる。しかし、これまでそのようなコミュニケーション技術を知らなかったため、なかなかロールプレイングをしても実践できなかったのが現実だった。これからもトレイニングして自然に、傾聴・感情に視点をおく、共感できるコミュニケーションができるようになりたいと感じる。これまでのコミュニケーション不足と技術の未熟さに気付いた。
看護婦は、忙しそうであったが、患者にはやさしく、ひとつひとつの看護が丁寧に行われていた。ほとんどの患者が、ここにきて良かったといわれた。ホスピスては、症状コントロール、基本的ニードの充足、心のケア、家族のケアがされており、いろいろな医療スタッフが携わり、共に協力されて、チームアプローチが実践されていた。疼痛コントロールについて学習をすすめていたため、自分の病院とあまり違いは感じなかったが、鎮静、輸液、ステロイドの使用方法などに違いがあった。
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