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 大まかに以上のような変化の後、在宅にむけて訪問ステーションのスタッフ2名をまじえての家族会が計画された。家族会では意思の最終確認がされた後、具体的に在宅での訪問計画が相談された。訪問ステーションのスタッフの「緊急の時にも蘇生等はせず、ただ見送るだけになると思います。短い期間で大したことはできませんが心を込めてお世話します」という言葉は、家族に安心感と力強さを与えたのではないかと思う。すぐに在宅酸素などの手配がされ、翌日13時には退院の運びとなり、主治医及び訪問ステーションと在宅看護部の全スタッフが同行して自宅までお送りした。残念ながら翌日午後には亡くなられ、約24時間の帰宅だったが、多くの人の関わりから納得いく最期を迎えられたのではないかと思う。この事例を通して、本来どの医療現場でも緩和ケア病棟のような関わりがなされていれば、患者も家族も苦しみを味わなくとも済んだのにと残念だ。しかしこれが現実で、だからこそ緩和ケア病棟はまだまだ必要性があるのだと感じる。この事例でも不信感の最大の原因はコミュニケーションが不十分だったことにあると思われる。さらに医療チームとしてのチームアプローチが不十分だったのではないかということを感じた。ホスピス理念とも言える?症状コントロール、?コミュニケーション、?家族ケア、?チームアプローチが実践され、さらに在宅とのスムーズな連携と一週間の短い入院の間に凝縮された事例に出会えたことを感謝し、今後の自己の看護に生かしていきたいと思う。
 他にも患者さんとの関わりの中で学ばせていただいたこと、考えさせられたことが多かった。
 その一つには音楽療法からの学びがあった。研修中に病院内の定例のホスピス勉強会が開催され、このときは音楽療法士から学会で発表された事例についての報告と音楽療法の実際について伺った。現在日本の音楽療法には2つの流れがあって、CDやテープ・ボディソニック等の音響機器を用いるグループと、生の演奏や歌をグループ指導あるいは個別訪問で行っているグループがあるとのことで、栄光病院では後者の方法がとられていた。曲の選択は患者さんと話しをしながら決めていくが、最終的には一つの曲に絞られていくらしい。半音階のはいっていない曲が安心感を与え、低くゆっくりしたメロディーがよく、子守歌や唱歌・民謡・賛美歌などがリラックス気分になり、その人の呼吸に合わせて歌うとよいということであった。この勉強会の数日後、ある患者さんのリフト浴準備中に呼吸状態が悪化し、家族が見えるまでの約2時間この患者さんに付き添っていた。呼びかけや話しかけにはゆっくりとうなずける意識状態で、時々名前を呼んだり、状態を確認するくらいで長い沈黙の時間が経過していった。その時、音楽療法のことが頭に浮かび最初は子守歌をハミングで、それから赤トンボや里の秋、ふるさと等の唱歌をゆっくりと小声で歌いながら「続けてもいいですか?」と確認するとゆっくりうなずかれ、目に涙が溜まっていた。今までの自分ならこのような場面で歌を歌う等不謹慎だと思ったに違いない。しかし、緩和ケア病棟の雰囲気の中で自然なコミュニケーション手段として歌うことができた。自己満足かもしれないが、良かったと思うしいい体験をさせてもらったと思う。
 栄光病院には3人部屋が4室と2人部屋が1室ある。一般病棟でも相部屋でのトラブルはよく経験することであるが、研修中に緩和ケア病棟の相部屋について考えてみる機会かあった。3人部屋で昼夜逆転の患者さんと同室者のそれぞれのニードとQOLについて考えてみたが平行線で、患者さん同士のトラブルがあったわけではないが、結局は個室へ移動していただくこととなった。相部屋の長所の一つとしてターミナル期のさまざまな不安や苦悩について、時には医療者の果たせないセルフヘルプグループの役割を果たすこともあるので今後多くの方々の意見を参考にしたい。
 研修中もっとも心に残ったのは看取りに関する一連のことで、安らかにゆっくりと静かに息を引き取られ、死後の処置も実に丁寧でお気に入りだった服に女性なら充実したメークセットできれいに化粧されていた。亡くなられた後の部屋の使用にも余裕があり、朝亡くなって夕方まで待ったり翌日まで待ったりされていた。自己の病院を振り返ってみると亡くなるのを待っていたかのようにバタバタと後片付けが始まり、早々に霊安室にお送りして次の方を個室にいれる、こんな光景が日常的である。残されたご家族の心情を察し、今後参考にしたいことの一つであった。退室される時のお別れ式、病院でご葬儀される時の前夜式、ご葬儀にも何回か出席させていただいたが、主治医やプライマリーナース、

 

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