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 徐々に状態が悪化していく患者は、転科時、不確かさによる不安が軽減されつつあったが、車イスからベッドへの移動、トイレに歩いていけないこと、尿器の使用等のこと、ADL低下が「自分のことができないなんて…」と涙ぐむことが多くなった。そして、元気だった頃を思い出しては、涙ぐみながら話して下さった。
 患者自身、もう時間がないということをご存じの様子で、妻の姉に葬式のことなどを告げる。しかし、妻へは話さなかったとのことである。
 どんどん、患者自身の体が思うようにいかないと「生きるって難しい」「後、どれぐらい生きれると思う?」と死に対する不安を涙を流し打ち明けて下さった。
 死に対する不安がある患者に対して、《傾聴》と《そばにいる》ことを看護婦の援助として関わらせていただいた。「何も言わなくても、そばにいること」は、予後が短いことを感じている患者に対して、難しいことでもあったが、信頼関係を促進するうえで大切であると再認識することができた。
 日単位であるということもあり、以前、PCUの看護婦が提案されていた12月1日の誕生日を早くしようと、妻と妻の姉が企画した。先生や看護婦が集まり、詰所からのプレゼントのシャンパンで乾杯し、バースデイカードを渡すと、今まで涙を見せなかった妻、妻のまえで涙を見せなかった患者は、涙を流し喜んでいた。
 このとき初めて、愛する夫を失おうとすることの淋しさを感じることができた。今まで、一人で悲しむ姿を見せまいとして、いつも笑顔でいたため、私は、妻の思いを表出できるように、話を持とうと必死になっていたが、このささやかな出来事が癒しの援助だったのかなあと振り返った瞬間であった。
 この会を最後に、肝性昏睡がさらに進み、実習の最後の日は、看取りの援助を見させていただき、「また会える日」を誓ってお別れをした。
 この患者さんを通して、私の目標を振り返ってみると、
 目標の?受け持ち患者の苦痛をひとつでも理解することができる、ということでは、自分のことができないつらさ、「生きるって難しい」と言っていたように、残された時間を感じるつらさをそばで見させていただいて、必ず、訪れる最期の時の苦痛を感じることができた。そして、死への不安にある患者に対して、ありのままの患者を受け入れて、《何も話さずにそばにいること》の難しさを感じ、日々、信頼関係を築く上でとても大切だと実感した。
 目標の?家族の一員(夫)を失う悲しみ(家族の苦痛)を少しでも理解することができる、ということでは、一人で悲しみを悟られまいとする強さともろさを見させていただいた。夫に限らず家族の一員を失うつらさを共に分かち合えるように関わっていく大切さを再認識できたように思う。
 目標の?一般病棟において治療する立場の医療者側と緩和的ケアを求める患者・家族の間に立つ看護婦としての対応・考え方・ケア上の問題を解決する方法を学ぶ、ということについては、一般病棟だからといって、ケアすることにかわりはなく、処置時のセデーション等は難しいことかもしれないが、急性期からターミナル期の病期のひとつとして、区別しなくてもいいのだということがあらためてわかった。今まで、一般病棟では、「緩和的ケアを求められても応えることができない!」と思い込んでいたところがあったが、ホスピス・緩和ケア病棟だけではなく、ターミナル期の患者は全人的苦痛を抱えていることを忘れずに、ケアの提供をできるのではないかと私なりに答えが見つかりそうな気がする。
 今回の実習では、看護婦の価値観で見ずに、尊厳をもってありのままの患者・家族を受け入れる大切さや難しさをあらためて学んだ。
 ひとつ残念だったことは、S・M氏をお見送りできなかったこと。患者・家族へどれくらい十分な援助ができたかどうかはわからないが、難しかった霊的苦痛へのケアを学び続ける努力を惜しまず、今回の学びを今後に生かしていきたいと思っている。

 

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