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 家族の構成は妻と2人暮らし。一人娘さんは、結婚して神戸に在住され、6ヵ月のお孫さんがいる。

〈家族構成〉

〈性格〉自分のことは自分でやりたい。
(妻より)何でも仕切る人。
〈キーパーソン〉妻
 妻を支えているのは、妻の姉、娘夫婦と孫。
〈職業歴〉鉄鋼所に勤めていた。生計者。
〈住所歴〉新潟に16年間、その後、神戸へ。

 キーパーソンは、妻。妻を支えているのは、妻の姉、娘夫婦でお孫さんの存在も心の支えになっている。
 告知については、発病時は未告知だが、平成9年の肝メタが再度増大したとき、「悪いものができている」と説明されている。平成10年になり、一人で外来受診をしたときに、患者の強い希望にて病名告知されている。予後に関しては、再入院後の10月末に“末期”と説明を受けている。転科後、看護婦に(末期と告知されて)「先生は、オブラートに包んでおっしゃるから、ハッキリといってもらってスッとした」と穏やかな顔で言っていた。また、末期ということは告知されているが、日単位ということは知らない。
 妻への告知は、発症時からその度に説明されている。今年の2月には、余命半年と告知されている。今回の再入院後には、急変の可能性があることも説明済みだが、転科後、「正月まで大丈夫だろう」と思っていたため、現状把握のため、妻の支えとなっている姉と一緒に面談を受けていただいた。そして、日単位という余命告知を受けられた。
 この9日間で、患者の状態悪化にともなう患者自身の思いや、家族への関わりを通して、「予後が短い」という事実をどう受け入れていくかを観させていただいたり、看護婦の関わりを観させていただいたと思っている。
 患者が緩和ケア病棟に来られた理由として、苦痛を緩和してほしい、少しでも穏やかに過ごしたい、苦痛である治療はしたくない、ということであった。
 患者の苦痛として、腹部の痛み、全身倦怠感、下肢の浮腫にもよる脱力感、口渇、腹満感、掻痒感、不眠があった。
 痛みに関しては、アンペックSP10?分4から持続皮下注入によって、塩酸モルヒネに変更。痛みはかなり軽減された。痛みの増強時の早送りはもちろんのこと、常に背中をさすったり、ただ処置を終えて退室するだけではなく、何も話さずそばにいることで、患者との信頼関係を築いていくことを観させていただいた。
 倦怠感に関しては、ステロイド剤の使用によって軽減を図られるが効果はない様子で、リクライニング車イスにて散歩をし、気分転換することが患者にとって緩和する方法のようであった。
 下肢の浮腫に関しては、持続点滴を日中のみとし、減量されていた。ハドマーの使用によって、軽減は見られなかったものの、リラックス効果を目的として使用していた。
 口渇に関しては、氷水が一番癒されるとのことで、常に用意されていた。
 腹満感については、苦痛を伴うことから腹水穿刺等の処置はされず、排便コントロールのため、緩下剤の投与やマッサージをされていた。
 掻痒感に関しては、院内処方のローションを使用して軽減したり、入浴し軽減していた。
 不眠に関しては、眠剤(錠剤・坐薬)の使用にて軽減を図るが、口渇のための飲水や排尿のため(一度、バルーンカテーテルの挿入を試みたが不快のため抜去している)に断眠している。そのため、午前中は何もせず、ゆっくりと休んでもらっていた。
 その他の処置を通しても、必ず、患者の体調を見ながら、患者と相談しながら患者のペースで進めていたことは、一般病棟ではなかなか難しいとは思うが、患者に対し、誠意ある尊厳をもった態度で対応していかなければならないと、あらためて認識した。

 

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