悲嘆の作業を見守ることの大切さ
厚生連滑川病院
長 光代
2週間の実習で学んだこと、印象に残ったことについて述べる。
実習目標
ホスピスケアの実際を知り、自己の施設のケアに必要な知識、技術、態度を学び取り、前向きに問題解決策を見いだし、メンバーシップあるいはリーダーシップを発揮していきたいと考える。
まず、ボランティア活動を体験し目的や役割について理解することができた。患者家族とボランティアの関係は、自然の付き合いであり特別扱いではなく、あたりまえの日常生活があった。Nsのユニフォームを着ずに私服のままで患者家族に接したことで、する側とされる側という壁のないことを実感した。また患者家族の反応も違っておりNsのままでは見ることのできない患者さんを見つめることができた。患者さんを上から見ていたことに気付き、今後の良い反省材料となる。ところで、ボランティアは、やってもらって当然と思われる傾向もありサポートについて考えさせられる。
次に乳癌患者のターミナル後期から死亡までの受け持ちを通し、チームアプローチで全人的ケアを行っている実際を知ることができた。
精神的苦痛、霊的苦痛
マッサージ中に「死ぬのは怖くないが残される娘のことを思うと、さみしいさみしい」と話される。本人のさみしい気持ちが聞きながらも何もできず重い気持ちになっていたが、チャプレンより助言があった。「誰かが側にいて話をきいてくれた、そういう事実をきざみたい、聞いてもらえたという実感が彼女の中にあればそれでよい、答えを求めていたのではない」と。霊的苦痛=宗教だけで解決するものではなく、さみしいという気持ちや痛みを感じることができるなら、それ自体がケアである。死に向かって行く時、悲しみさみしさは当然であり、doingではなく、beingで関わること、悲嘆の作業を一緒に見守ることの大切さを学んだ。
また、その後「すっぽりと絶望感に包まれた、今までずっとがんばってきたのでもう終わりにしたい」と訴えるようになる。キュブラー・ロスの5段階の受容に至っているものの、あきらめやうつ的な感情の表出もみられる。傾聴し、がんばってこられましたねと伝えたが、ホスピスNsは、ずっとがんばってきたことは、私たちはよくわかっていること、もうがんばらなくてもいいということを、伝えている。終わりは今なのかどうかは、誰にもわからない、人の手によって命は操作できないことを本人と確認しあい、がんばった後も本人の希望を一緒に考え支えようとする姿勢は、否定をしない、傾聴、共感、受容の姿勢であり、死をタブーとせず逃げないで支えよう、と覚悟が決まる思いであった。同時に、自分の存在や尊厳を大切にしているかを問われた。いろいろな荷物を持っている患者家族が安心して荷物をおろせるような存在、看護をしていきたいと考える。一般病棟の体制は変わらなくても、受け皿がないからとあきらめないで、チームワークを大切にして、できることからやっていこうと思う。病棟にもどってこれらの学んだことを、伝え方を考えて伝えていきたい。また症状コントロールや告知の問題について、課題が残ったが今後につないでいきたいと考える。
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